橋本裕の日記
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映画評論家の佐藤忠男さんも戦時中は軍国少年の一人だったという。彼は当時を振り返って、「われわれはじつに従順であり、我慢づよく、さらには大いに付和雷同的でした。あの侵略的な軍に大いに喝采していたのです」(「草の根の軍国主義」平凡社)と書いている。もう少し引用してみよう。
<軍と半ば一体化し、だから軍がまいったときは国民もまいったのです。残念ながら軍国主義は一部の軍国主義者たちだけのものではなく、草の根の広がりと深さを持っていました>
それでは、軍国少年の彼はどこまで天皇を「神様」だと信じていたのか。これについて、佐藤さんはちょっと恥ずかしい思い出があるという。
<小学校の六年生のときだったと思うのですが、思春期でセックスの知識に目覚めて友達と盛んに情報交換をしていました。子どもは男と女の性行為から生まれる、と知って驚いて、どちらからともなく、「天皇陛下もか?」と言いました。
私は言葉の弾みで「そうだ」と言って、なんだか体がすくみました。そしてその夜一晩、得体の知れない恐怖に襲われました。そんなことを考えること自体が不敬で、私は不忠者、非国民なのではないか、と恐れおののいたのです。そして翌日から数日、理由は何も言わずにその友達と絶交しました>
昔から天皇は色好みだった。万葉集や源氏物語を読めばよくわかる。セックスだってする。だから天皇家は今日まで「万世一系」を誇っていられるのだ。佐藤少年も頭ではそのことを知っていた。そしてとっさに「そうだ」と答えた。しかし、そう答えてから、「こんなことを口にして無事にすむのだろうか」という不安が押し寄せてきた。天皇はセックスするなどと口にすべきではなかった。それが時代の空気だった。
<天皇は神だなんて、大人はもちろん、子どもたちだって、じつは誰も信じてはいなかった。それなのに信じたフリをしていた。とくに戦時中には、またとくに軍隊の中ではそうで、恥ずかしげもなく堂々と信じているフリをすることができる者ほどいばっていることができたし、それができない者はおとしめられがちだった>
佐藤さんは中学校へ進学を希望していた。そこで小学校の6年生のとき志願者が集められて模擬面接を受けることになった。そのとき佐藤少年は、「日本に生まれた幸せは何か?」と聞かれて、うまく答えられなかった。
「軍隊が強いからです」という答えが浮かんだが、「どんな風に強いのか?」とつっこまれたらどうしよう。「美しい国だから」と答えても、世界にはもっと美しい国があるかも知れない。などと余計なことを考え、迷っているうちに、「もうよし」と言われてしまった。こうして満座の中で彼は恥ずかしい思いをした。
彼の後に面接を受けた生徒は、「万世一系の天皇をいただいているからであります」と答えた。これが正解だった。佐藤少年はあとで担任の先生から、「日本に生まれた仕合せはなにかという質問に答えられないような者には中学進学の資格はない」と言われた。もっとも、佐藤少年は何とか中学を受験することができた。
ところが、受験会場でおもいがけない不幸に見舞われ、佐藤少年は中学進学をあきらめなければならないことになった。その経緯を読んで、戦時中はこんなこともあったのかと驚いた。佐藤さんの中学受験失敗の顛末を、明日の日記で紹介しょう。
(今日の一首)
玄関にまだらのスイカころがりて 夏のなごりがさやかに匂ふ
この夏、我が家の畑で大量のスイカがとれた。しかし、味はいまひとつだった。食べ切れなかったスイカが玄関に置かれたまま、捨てられるのを待っている。
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