橋本裕の日記
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2005年12月05日(月) 晩秋の明治村を歩く

 昨日は4人で、明治村を歩いた。あいにく雨模様の寒い日だったが、紅葉がまだ残っていてきれいだった。入鹿池湖畔の豊かな自然のなかに由緒ある明治の建物が美しく調和して建っている。「本物はいいなあ」とつぶやき、落ち葉を踏みしめながら歩いていると、体も心も温かくなってきた。

 明治村が財団法人として発足したのは、昭和37年だという。旧制第四高等学校同窓生であった建築家の谷口吉郎 ( 博物館明治村初代館長 ) と 土川元夫氏 ( 元名古屋鉄道株式会社会長 ) とが 共に語り合い、二人の協力のもとに創設された。

 北海道から札幌電話交換局を移築し、京都の聖ヨハネ教会堂、東京の森鴎外と夏目漱石の両文豪が住んだ住宅など、最初は15件に過ぎなかったが、現在では67件に達し、博物館の敷地も2倍近くの100万平方メートルに広がっている。

 その中には、遠くシアトル、ハワイ、ブラジルから移築されたものもある。いずれも初期の日本人移民が使用していた集会所や、その困難な日々の生活をしのばせる遺品、遺物である。明治村には何回か足を運んでいるが、これは初めて見た。

 フランク・ロイド・ライト(1867-1959)建築の「帝国ホテル」の中央玄関には大きな電飾クリスマスツリーが立ち並んで、クリスマス気分を盛り上げていた。この帝国ホテルへはアインシュタインをはじめ、マリリン・モンローやチャップリンも宿泊している。

 帝国ホテルは4年の歳月をかけて建造され、大正12年9月1日全館完成の披露式が行われたが、その日の正午にたまたま関東大震災が起こった。ところが他の多くの建築が倒壊する中で帝国ホテルだけはびくともせず、ロイドと帝国ホテルの名を高めた。帝国ホテルは戦災でも生き残り、マッカーサーもここを利用している。

 その帝国ホテルの近くの高台にある洋食屋「浪漫亭」で昼食を食べた。ぺこちゃんが「オムライス」を注文し、残りの3人は明治風カレーライスを注文した。窓から見える景色を眺め、雑談をしながらゆっくり時間をかけて食事を楽しんだ。

 明治村 落葉の道を 歩きつつ
 友と語らう ひとときたのし   裕



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