橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年11月09日(水) 飢餓と過食

 16年ほど前、体重が増え始めた時期があった。当時夜間高校に勤務していた私は、夜中に駅から自宅にあるいて帰る途中、屋台に寄ってラーメンを食べていた。学校がとても荒れていたころで、かなりストレスもたまっていたのだろう。私の最大の楽しみは、このラーメンだったのである。

 その頃私は1年生の担任をしていたが、私のクラスは40人いて、しかも30人近くが男子生徒だった。しかもその大半がわけありの生徒ばかりで、指導が大変だった。口のききかたが悪いといって、職員室で生徒にワイシャツをひきちひられるという暴行を受けたこともある。

 授業料や給食費を滞納したまま学校にこなくなった生徒の家に押し掛けて、父親と直談判してお金をださせたこともある。素直に払うことは滅多になく、何度も居留守を使われたあげく、ようやく粘り勝ちで授業料と退学届を手に入れたときはほっとしたが、これが教員の仕事かと思うと泣きたい気分になったものだ。

 結局40人いた私のクラスは、1年間で20人あまりが退学して、とても淋しいことになったのだが、それまでに随分いろいろな事件があり、戦争のような毎日だった。ストレスから私は怒りっぽくなり、よけに生徒達とトラブルが増えた。

 11時過ぎに木曽川の駅を降り、とぼとぼ暗い夜道を20分ほどわが家に歩きながら、何度教員を止めようかと思ったか知れない。しかし、幼稚園と小学生の娘や妻のことを思うと、そんな弱音をはいてはいられない。そんなとき、屋台のラーメンの味がはらわたにしみてくる。

 しかし、そうしているうちに、私の体に異変が生じてきた。シャツの首周りが苦しくなり、胸のボタンがちぎれそうになった。腰回り84センチのズボンがどれも窮屈になった。鏡で顔を見ると、別人のようにふくらんで生気が感じられない。

 そこで、私は一大決心をした。屋台のラーメンを食べる回数を減らすこととにしたのだ。そんな日は、学校から帰って、お茶を一杯だけのむ。この一杯のお茶をそれこそ宝物のように味わって飲むのである。

 それから、もう一つ決断したことがあった。それは浮いたラーメン代をユニセフに寄付することだった。世界には飢餓に苦しんでいる大勢の子供たちがいる。私がラーメンを食べずに、そのお金を寄付すれば何人もの子供が助かる。そう考えると、自分の餓鬼のような食欲も少しはおさまってくれた。

 ラーメンを食べる回数をどんどん減らした結果、私の体重は増加を止めて、わずかだが減少した。私は新しくワイシャツやズボンを新調することもなかった。そして私は餓鬼のような自分から解放され、さらにそれによって浮いたお金を寄付することで、自分の人間としての誇りをとりもどすことができた。

 いまでも毎年年の暮れにユニセフに献金している。そのたびに、私は自分の人生で出あった試練を思い出し、この試練にうち勝つことのできた自分を誇りに思い、さらには、私にこの力を与えてくれたユニセフや、もっと大きな存在に感謝することにしている。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加