橋本裕の日記
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2005年11月03日(木) 国家権力の番人

 自民党の新憲法草案が先日新聞に発表された。これについて友人のtenseiさんがHPのコラム「塵語」に感想を書いている。全文を引用させていただこう。

−−−−−自民党の新憲法草案−−−−−

 これを読んだのは、先週の土曜日の朝刊である。戦争放棄は維持するそうだ。しかし、自衛軍は明記するそうだ。自衛軍がどういう活動をするものであるかは、別に定める法律があるようで、それが載っていないからわからない。

「戦力を保持しない」と「交戦権を認めない」を削除して、4項目にもわたるくどくどした自衛軍の規定があるのだが、どうやら、今まではサマーワに水運びや土木作業に行っても、非武装(?)の非戦闘員としてみなされていたのが、この憲法が成立すると、武装した戦闘員とみなされるということなのだ。

 そうなれば、現地の武装集団も遠慮する必要がなくなると思うのだが。。。今までは、万一攻撃を受けた場合の対処が実に慎重に考えられていたが、この憲法の下では、自分たちの安全(?)のために堂々と応戦できる。そうして、米軍と肩を並べて、ドンパチやれるわけだ。

 そうして、水運びや土木作業に行ったはずなのに、そっちのけで、来る日も来る日も飽くなき戦闘状態になったりもするわけだ。さらに、平和な状態をもたらすためと称して、応援が送れ込まれる。ま、もしこんなことにでもなるなら、事実上の参戦である。そんなことにならないように、軍隊をもたないこと、交戦権を認めないことを、国家に対して宣告したのが日本国憲法だったのに。。。

それは、戦後60年、日本が誇りとしてきたものを放棄することなのだ。戦争放棄を維持しながら、平和主義も放棄するって、どういうこと? 詐欺じゃないの??

さらに何年もすると、第9条の戦争放棄と自衛軍は矛盾すると言い出して、戦争放棄を放棄する新憲法を決議しようという計画なのではないか?

だから、憲法改正を今より簡単にできるようにもしようとしている。

「衆参各院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案して、、」

今まで各院の3分の2だったのを、過半数に緩めてしまおうというものだ。過半数の議席さえあれば、1党だけの思惑で改案が提議できるわけだ。またもや、自分たちに有利なルールを作ろうという汚いやつらだ。憲法というのはそんなに浅はかなものであってよいのか。

第12条の、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ」
には笑えてしまった。小泉クンがあの時憤慨のあまり口走ってしまった「自己責任」という語が、こんなところに反映している。こうまで根に持たれてしまったのだから、あの3人の人質は偉大だ(笑)

全体として、為政者への縛りを緩め、国民への戒めを増やした草案に見える。前文にも現行憲法のような感動的な主張は感じられないし、矛盾は深まるし、わざわざこんな低レベルで幼稚な憲法に変えようとは、一体どういう神経だ? ま、こんなのが国会で議決されるとは到底信じられないけれど。。。

でも、こういうものを出しながら、国民の目を混乱させながら、現憲法の下で現憲法をないがしろにして行くんだろうな。。。

 −−−−−−引用終わり−−−−−−

 自民党の憲法草案では、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ」(第12条)などと、国の責任と義務を規定するべき憲法が、どうしたことか国民に責任や義務を説いている。憲法は国民を国家権力の横暴から守るための番人である。しかし、自民党の新憲法草案ではこの意識が薄められて、むしろ国家権力の側に立って発想されている。これでは何のための憲法かわからない。

 国会議員の過半数の賛成で国民投票ができるというのも問題だ。民主主義を「多数決」の論理で割り切ろうとしている。「多数決」はファシズム(全体主義)論理である。国会議員の1/2、国民の半分近くが反対するようなことを憲法で規定してはいけない。もっと歴史の教訓から学ぶべきだろう。

(1)国民主権
(2)基本的人権の尊重
(3)国際協調による平和の実現

 現在の日本国憲法はこうした立場から政治をすることを国家権力に要請している。ところが小泉政権は多くの点で憲法の理念を踏みにじっている。そして憲法を変えることで、さらに国民主権を空洞化し、基本的人権を国家権力の下におき、国際協調ではなく武力による覇権主義へと国を導こうとしている。これが「小泉改革」の目差すところだとしたら大変だ。いずれにせよ、自民党による今回の新憲法草案は歴史を逆行させようとする愚案である。


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