橋本裕の日記
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2005年09月08日(木) 何もなくて豊かな島

 フイリピンのセブ島の沖合10kmのところに、周囲が2kmしかない珊瑚礁の小さな島が浮かんでいる。昭和10年生まれの崎山克人さんがこのカイハガン島に出合ったのは1987年だった。

 ダイビングのためにセブ島に遊びにきて、現地の人から1000万円でこの島が売りに出されていると聞いて、その場で決断したのだという。そのあたりのことを、「何もなくて豊かな島」(新潮文庫)から引用しよう。

<その時、私は53歳。これから二十年、いやひょっとすると三十年ちかくも元気に過ごせるかも知れない。それは、学校を出て働きだしてからと同じくらい長い時間だ。これからをどうして過ごすかを真剣に考えた。

 そのまま出版社経営の仕事を続けることを考えた。責任ある仕事だったし、報酬も申し分ないものだった。時間に追われる忙しい生活が続くが、その間島を別荘として使ってもいい。

 責任ある仕事をし、南の島に別荘を持ち余暇を楽しむ。格好いいではないか。ビジネスマンとしては最高の「上がり」だったかもしれない。しかし、どうもそのような気にはなれなかった。

 三十年も続けた「ビジネス」を中心とした生活から、抜け出したかったのかもしれない。何か違う価値観を求めて生活したかったのかも知れない。仕事の合間に考えるのではなく、考えることが中心の生活がしたかったのかもしれない。

 ほんとうに「縁」としかいいようのない出会いで、カオガハン島が手に入ったことを、運命のようにも感じた。留学、仕事と、アメリカで約十年生活したおかげで、外国に住むことに違和感はなかった。「やはり、島に行こう」と心に決めた>

 こうして崎山さんは1991年に外資系の出版社の社長を辞めて、この島に移り住んだ。 島にはココ椰子の木が茂っていて、300人ほどの住民がいた。人々は椰子でできた簡素な家に住み、ココナッツのミルクや遠浅の珊瑚礁の海でとれた魚を食べる。

 一本のココ椰子の木があれば人が一生たべていけるのだという。ほとんどお金のいらない自給自足の原始的な生活だ。崎山さんはこの島の人々なかに溶け込み、一緒に生活することにした。

 さらに、小さなホテルを建てて、そこに日本人の観光客を呼ぶことにした。ホテルの従業員は現地の人たちである。利益はすべて島のために使う。これで小学校や教会を建てた。島にとって貴重な現金収入である。

 宿泊客の定員は4人そこそこで、かならず三食を島崎さん一家と食べる。いろいろな人生経験を持つ男女がやってくるので、話題は尽きない。日本からきた人々はそこに日本社会とは対極に位置するような異次元の世界があるのに驚くという。

<たしかにかれらの持っている「もの」は少ない。日本人のおそらく、数百分の一ももっていないだろう。・・・しかし彼らはゆとりをもって生活している。

 あくせく働くこともないし、あせることもない。島のみんな知り合いだし、どんな人も島の社会で役割を持っている。島には何人かの知能の遅れた人がいる。生活自体シンプルだから、彼らも一人前に自活できる。誰も差別をしない。私の目には、カオガハンの人たちはいつもハッピーな生活を送っているように映るのだ。事実かれらの目はいつもやさしく輝いている。

 昔からあるジョークがある。太平洋の小島に金持がヨットでやってきた。島民が「お金があっていいなあ」と言うと、金持は「冗談じゃない。私は一生働いて、お金を貯め、やっと休暇をとって南の島にやってきたのだ。あんたたちは初めからここに住んでいるじゃないか」>

 たしかにこの島には文明の利器はないが、ピュアで美しい自然がある。文明に汚されていない島の人たちのもてなしや、子供たちの愛らしい笑顔がある。そうした豊かさのなかに身を置いているうちに、日頃の生活の中で見失っていた豊かな世界を心に取り戻す。島ではだれもが詩人なり、思索家になる。

<カオガハンの生活には、いわゆる「情報」はほとんどない。物も少ない。物の情報も少ないから生活は簡単になる。そして、大きな海と空と風に囲まれ、自然の驚異、美しさ、大きさに接して生きている。

 そうすると、人は「大きな、大切な」何かを感じ、それを時間をかけてしっかり考えるようになる。時間があって、自然の大きな大きな刺激があると誰でもが何かをしっかりと考えるようになる。

 私もカオガハンに来て、いろいろなことをゆっくりと考えるようになった。日本の忙しい中では浮かんではすぐに流れ去ってしまった「思い」を、ゆっくりと考えるようになった。自分をじっくりとと考える。すると徐に自分の考えがしっかりと固まり始める>

 崎山さんの願いは、この島の自然と、そこに暮らす人々の豊かな暮らしをこれからも守り通すことだという。同時に、島の子供たちに勉学の機会を与え、将来、崎山さんがいなくなっても、島の人々が自分たちでこのゆたかな生活を維持できるようにしておきたいという。

 私もできればこのカルガハン島を訪れ、崎山さんや島の人々と人生のひとときを、ゆったりと過ごしてみたいものだと思った。 


橋本裕 |MAILHomePage

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