橋本裕の日記
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2005年09月02日(金) 資本主義の歴史

 資本主義の歴史をふりかえってみると、アダム・スミスが「国富論」を書いて強調したことは、政府は市場に介入するなということだった。市場における自由な競争が産業を育て、国を富ませると、彼は考えたわけだ。

 彼がどうしてこんな主張をしたのかといえば、当時、多くの商人は王室や貴族と癒着して特権的な商売をしていたからだ。こうした癒着を絶ち、市場を開放的な経済の場にしなければ、国は豊かにならないというのが彼の考え方だった。これは当時のイギリス社会を考えれば、大正解だったわけだ。

 アダム・スミスのこの市場優先主義はアメリカに移植され、アメリカという国はこの自由主義経済で大きく成長した。政府は市場にあまり介入せず、経済のことは経済にまかせることは、おおいに成功したように見えた。

 こうした自由主義経済体制のもとで巨大な資本家が育ち、財閥があらわれた。摩天楼がそびえ立ち、だれもがその威容を見て、資本主義経済の成功と繁栄を信じた。そしてこの繁栄は将来も続くと思われた。

 しかし、この資本主義成功の背後で、低賃金にあえぐ労働者がいた。彼らは多くは移民だった。貧困問題が深刻化し、犯罪が増加したが、政府はこれを取り締まるのみで、経済は自由競争にまかせた。

 自由経済は貧富の格差を生む。そして放置すれば、この格差はどんどん広がる。一部の富裕層と大部分の貧困層に別れたとき、何が起こるかというと、供給と需要のアンバランスだ。

 大衆の貧困化は内需の伸びを抑える。これに対して、競争は技術の向上を生み、生産性の増大をもたらす。生産性の増大と需用の減少の結果、必然的に生じるのが、生産の過剰である。

 この過剰をなくし、需要と供給をバランスさせるのがほんらいの市場原理だった。アダム・スミスが「神のみえざる手」と呼んだ自動調節機構がはたらき、生産が縮小してこのバランスが回復するはずだった。

 しかし生産の縮小は、労働者の解雇を生み、大衆の貧困を加速する。需要はますます冷めて、さらなる生産の縮小を生み出した。こうして市場は制御をうしない、おそるべきデフレスパイラルに見舞われた。こうしたことは、アダム・スミスの古典的経済学では考えられないことだった。

 そこにケインズにあらわれて、市場は市場にまかせてはいけない。国がこれを管理し、市場に適正な競争原理が働くようにしなければならないと主張したわけだ。また社会福祉制度を充実させ、所得の配分を適正化するのも政府の大切な任務だと考えた。

 とくに不況時には、政府の力で需用を創造しなければならない。ルーズベルト大統領はこれを受け入れ、ニューディール政策を発動した。

 アダム・スミス流の自由主義市場経済はこうして、ケインズによって修正された。そしてこれがそのご、経済学の主流を占めた。しかし、ここにきて、アメリカを中心に、ケインズ主義を批判する声が高くなってきた。日本でも今は、自由主義をとなえる声が大勢をしめている。歴史はふたたび繰り返されるのだろうか。


橋本裕 |MAILHomePage

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