橋本裕の日記
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| 2005年08月30日(火) |
小泉流国民だまし戦法 |
少し前までの日本は、企業で働く人々が銀行に貯金し、企業はその銀行から資金を調達するということがふつうだった。つまり、個人は銀行に貯金をすることで、間接的に企業に投資していた。
現在も、日本企業の資金は80パーセント以上が銀行からの借り入れだ。株式による資金は20パーセント以下で、これはヨーロッパの企業も同じである。
アメリカの場合は、銀行からの借り入れが20パーセント未満で、株式による資金が80パーセント以上だから、日本やヨーロッパとは逆転している。
だから会社がだれのものかといわれたら、日本やヨーロッパでは株主のものだとは言えない。資本金の持ち分はせいぜい20パーセントしかないからだ。
ところがアメリカの場合は8割だから、株主主権主義が現実味を帯びてくる。しかもこのスタンダードを、まるで企業環境がちがう日本にグローバル・スタンダードの名前で押しつけようとしている。
資金の二割に満たない株式の過半数を握って、会社は俺のものだといわれても困るわけだ。日本・ヨーロッパ流の資金調達法がよいのかどうか議論の余地はあるが、こうした企業環境の違いを認識しないで、アメリカの標準にあわせてばかりいてはいけない。まずは現状を見て、そこから出発すべきだろう。
ところで、バブルの頃から、企業は銀行からお金を借りなくなった。お金を借りなくても利益があがっていたので、それを使えばよかったからだ。こまった銀行は政府に貸し出しの規制を緩めるように働きかけた。
そこで政府は大幅に金融の自由化をした。銀行は企業だけではなく、不動産やサラリーマン金融、それから外国のデリバティブといったいわゆる<投機>に手を出せるようになったわけだ。政府はさらに年金までもこうした投機に使えるように法をあらためた。
1985年のころから銀行は私たちの預けたお金で、土地、株式、為替売買、デリバティブなどのマネーゲームにあけくれるようになった。ところがこれが大失敗だった。とくに自らが作りだした土地バブルがはじけ、貸し出した100兆円以上のお金が不良債権になってしまった。
それでも銀行は景気が回復するまで待とうとした。しかし、アメリカから早く不良債権を処理せよといわれた小泉さんは政策の3本柱の一つにこれをあげて、強力におしすすめた。
いま100億円だった土地が20億円に値下がりしているとする。これを20億円で処分すれば80億円の損益になる。銀行はこの損益を少なくするために、これまで企業に貸していた資金を回収しようとする。これが「貸しはがし」だ。とくに業績が悪化した中小企業からこれをおこなった。
1997年末から2002年6月までに銀行預金は452兆円から499兆円に47兆円ふえている。ところが貸し出しをみると、この期間に109兆円も減っている。預金が増えたのに企業への貸し出しが減っているのは、これだけ国内の企業から「貸し剥がし」をして、そのかわりに158兆円の大半を外国のファンドなどに投資(投機)したからだろう。
そして日本の銀行から資金を調達したハゲタカファンドが、日本の銀行が投げ出した不良債権という餌を安い値段で買いあさっている。こうした愚かな仕組みが小泉政権下でいまも続いている。その協力者である財務官僚が今度の選挙で代議士になろうとしている。まったく国民を馬鹿にした話だ。
郵政を民営化して、郵貯や保険の350兆円を民間で活用せよという人がいるが、これは日本経済がおかれている実態を見ないからできる議論だろう。バブルのころ、法的な制約があり投機市場に参加できなかった郵貯・簡保資金は不良債権にもならす、大切な国民の財産として生き残った。
郵政公社は赤字になったことはなく、法人税のかわりに国庫納付金を利益の50パーセントも払っている。そのほかに何兆というお金を国に拠出している。何十兆円という税金をすいとり、郵便局の2倍以上の高給を配給している銀行とは雲泥の差である。もちろん郵便局員の給料には一円の税金も使われていない。
博打をしてこけた銀行には莫大な公的資金をつぎこみ、真面目一筋の郵便局はほめられるどころか、民業圧迫だなどと自分の悪行を棚に上げてよくいえたものだ。これも小泉さん一流の「猫だまし戦法」いや「国民だまし戦法」だといえる。
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