橋本裕の日記
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中江藤樹は日本における陽明学の開祖だといわれている。たしかに藤樹によって陽明の思想は正しく受け止められた。しかし、蕃山がはっきりと「自分は陽明学者ではない」と書いているように、藤樹も自分が陽明学者と呼ばれることを喜ばなかっただろう。そしてそれが実は陽明自身の考え方でもあった。
アインシュタインは相対性理論を発見したが、しかし、アインシュタインがいなくても、いずれ誰かがこの理論を発明しただろう。どうように陽明が考えたことは、何も陽明の私有物ではない。実際、藤樹も陽明とほとんど同じ考えをもっていた。ただ、それがあまりに世の考え方と違っていたので、確信がもてなかったのだ。
しかし、陽明の文章に出合って、藤樹は自分の歩んできた道が正しいことを確信した。陽明の書を読んでいると、藤樹は彼こそが百年の知己であると思えた。たとえば、陽明は教育について、こう書いている。
<近世の児童教育は、本の読み方や受験作文を強い、鞭で打ち、縄で縛って、あたかも囚人を扱うようである。児童は学校を牢獄のように思ってはいろうとしないし、教師をかたきのように思って顔を見ようともしない。
そこで、隠れ遊びをし、うそをつき、卑しいことをかってに行い、心はすさみ、日に日に堕落していくばかりである。これでは悪いほうへと追い立てておいて、善をなせと求めているようなものである。
たいてい、児童の心は、遊びを好み、拘束をきらうものである。そこでまず、詩を歌わせるように導くのは、ただ、その情操を高めるだけではなく、跳びはねて叫びたい気持を詠歌に発現させ、その抑圧された気持を音節に発散させるためである。
礼を習わせるのは、ただ威儀を正させるためだけではなく、進退の動作でその血液の循環をよくし、礼拝で身を屈伸させ、その筋骨を強くするためである。書を読ませるのは、ただ、その知識を開発するためではなく、くり返し沈潜して心を落ち着かせ、抑揚をつけた音読によってその志を伸ばすためである>(伝習録)
王陽明(1472〜1528)は3年に一度行われる科挙の試験に二度落ちている。科挙に合格するには、四書五経を暗記し、その細かな注釈書である朱子の書に通じる必要があった。ところが陽明は「論語」を読めば、その意味について深く考え、朱子の解釈にもいちいち立ち止まって首をかしげていたから、なかなか進展しなかった。
ようやく28歳の時、三度目の挑戦で合格したが、官吏になってからも、腐敗した官僚政治に疑問を持ち、これを誅するような文章を皇帝に上奏したので、あるときは鞭で打たれ、あるときは刺客にねらわれることもたびたびだった。
こうした厳しい現実の中で、陽明は学問を続けた。彼が求め続けたのは、試験に合格するための学問でも、出世のための学問でもなかった。自己を治め、社会をよくするための学問だった。
こうしてたどり着いたのが、孔子や孟子の根本の教えは「人間は生まれながらに誰もが善なる心をもっている。これを磨き、人格形成や社会実践に役立てなければならない」という考え方だった。こうした思想が彼の教育実践にも生かされた。また、県知事として領民を治めたり、軍司令官として賊を討つときにも生かされた。
王陽明はこの思想を「致良知」という言葉にあらわした。そして学問は机上の空論であってはならず、社会に役立つものでならないという信念は「知行合一」という言葉のなかにこめられた。これに政治は民のために行わなければならないという「民本主義」を加えれば、およそ陽明学の主な三本柱がそろうことになる。
内面を重視する王陽明の思想は、当時の社会を支配していた朱子の格法主義の教えとは著しい対照を示していた。陽明はこのことに苦しみ、朱子もまた晩年においてこの立場に至ったという説を発表したが、これはたちまち他の学者によって覆された。
そこで、陽明はようやく公然と朱子に反旗をひるがえした。朱子はおろか、孟子や孔子の言葉さえ自らの心に深く尋ねて、あきらかに非であるなら、これを否定することがあってもよいと考えた。
<それ学はこれを心に得るを貴ぶ。これを心に求めて非なれば、その言の孔子に出ずといえども、あえてもって是となさざるなり>(伝習録)
陽明は「私は真に良知こそは人々が同じく所有しているものであるとわかった。ただ、学ぶ者がそれを悟らないだけである」と書いている。そして「六経はすでに我が心のなかに備わっている」とも述べている。朱子のように真理は外にあり、これに強制的に心を従わせるのはが学問だとは考えていない。学ぶことは、自分の心の声に耳を傾け、自己の心を大切に育てることなのだ。
こうした陽明の言葉は、藤樹には驚くべきことだった。まさに、自分が考えていたことが、はるかに雄弁に、しかも壮大なスケールで説かれていたからだ。これによって深い霧はたちまち晴れて、藤樹の前には広々とした人生の眺望がひろがった。
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