橋本裕の日記
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豊田市の新設高校に勤務していたことがある。私のクラスにはトヨタの人事部長(後の副会長)の息子もいたし、下請けの工員の息子もいた。夏休みに一軒ずつすべての家庭を訪問して歩いたが、ほとんどはトヨタかトヨタ関連の会社の従業員だった。
家に上がり込み、父親とも話をした。体をこわしている人も結構いた。会社を辞めたいという人もいて(実際に高校の用務員に応募してきた)、そうした人たちの話を聞いていると、それまで抱いていたトヨタのイメージが崩れた。
トヨタの組合は御用組合で、社員の健康管理をしっかり考えているようには思えなかった。まさにそこにあるのは、マイホーム資金まで質にとられた滅私奉公の世界だった。はっきりいって、これは人間の生活ではないと思った。
トヨタではつい最近まで時間外労働が平然と行われていた。国会で追求されて、あわてて改善したのはつい去年のことだ。経団連の会長まで出している日本を代表する企業としてははずかしい。
3期連続の増収増益、日本企業として初めて1兆円を超える連結純利益を挙げたトヨタだが、トヨタ労組はベア要求の見送りをした。ボーナスは組合員平均244万円の満額回答だったものの、稼ぎ頭の産業がベアを見送るのはどうしたことか。
トヨタのような優良会社がその利益に見合った賃金を支給しなければ、国内で有効な内需も生み出されない。景気回復に貢献しないのは、反社会的だといわれても仕方がない。
アメリカの自動車産業の不振がいわれているが、アメリカの産業は従業員健康保険や年金の負担が日本のメーカーと比べて2倍以上もある。それだけハンディを背負っている上に、労働者の文化も日本と欧米では違っている。
国内に乗用車メーカーだけで8社もあって、薄利多売の競争を繰り広げている日本の自動車産業はたしかに競争力がある。しかし、それが労働者の人生の犠牲の上に成り立っているということを理解すべきだ。
さらに罪なことは、日本のこうした人権蹂躙奴隷体制が、世界の労働者の生活をも破壊してきたことだ。明治大学の黒田兼一さんによる現地報告「GM、UAW、そしてランシング---工場リストラ現場を訪ねた」には、その様子が次のように描かれている。
「構内に入った途端、Kanbanカンバン、Kaizenカイゼン、Pokayokeポカヨケ、Seiri-Seiton-Seiketsuセイリ・セイトン・セイケツ、Andonアンドン、こういう文字が飛び込んでくる。『ここはGMではない。トヨタの元町工場だ!』と錯覚を覚える」
日本の自動車産業の時代錯誤とでも言うべき生産様式が世界を席巻し、労働の現場を灰色の非人間的なものにかえ、本来の労働者の文化を崩壊させてきたことがうかがえる。
資本の奴隷となってあくせく働くばかりが人生ではない。誰かが勝てば、誰かが負ける。勝ち組になりたいと必死にがんばる気持ちは分かるが、社会全体のためにも、個人のためにもほどほどにしておいたほうがよい。
そもそもA社とB社がシェヤを争い、Aが勝とうがBが勝とうが、それがなんであろうか。勝ち負けでは得られない、もっと大切なもの、こころの豊かさを置き忘れてまで没頭することではない。
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