橋本裕の日記
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2005年05月28日(土) ナショナリズムの底流

 「靖国法案」が廃案になった4年後の1978年、 宗教法人靖国神社は東条英機と13人のA級戦犯を、「昭和殉難者」として秘密裡に合祀した。このことが明らかになったのは、翌年、新聞で報じられたからである。

 当時の官房長官の宮澤喜一は公式参拝について「違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」との政府統一見解を発表した。これを受けて首相の三木武夫も「私人」として参拝した。その後、鈴木善幸や中曽根康弘が「公式参拝」したが、中国から批判されてとりやめている。

 ところが小泉首相だけは「内政干渉だ」とまるで喧嘩腰である。これについて、マスメディアの論調もさまざまで、「中国はけしからぬ」という論調も少なくない。朝日新聞にしても「小泉構造改革」には好意的で、公式参拝には批判的だが、論調はどこか精彩を欠いている。

 その背景について、国際ジャーナリストの浅井久仁臣さんが「国際情勢ジャーナル 5月26日号」に「靖国問題の底流にあるもの」と題して書いているので、一部を引用しよう。

<それにしてもこの靖国問題。日本の政治家達は、何故にこれほどまでに頑なに参拝を強行するのだろうか。これはただ単に、靖国問題に留まらず、「君が代日の丸」、「歴史教科書」、「憲法改定」など一連の「神国ニッポン」の復活を願っての動きに連動するものと捉えるべきであろう。毎年のように政治家達がアジア諸国からの反発を承知しながら繰り返す「問題発言」にはそのような背景があると見るべきだ。そしてそれらの復古待望論は着実に国民の間に浸透し始めている。

 私の周りで最近、「亡くなった人を慰霊して何が悪いの?」という声を聞くようになった。また、「国旗や国歌は必要でしょ?」「中国や韓国だって自国の視点に基づいた歴史教科書を作っているのでは?」「憲法はアメリカに押し付けられたものじゃない?」という声も年々高まっている。祖父母の世代が行なったアジアへの侵略戦争が間違いなく「遠い過去」になり「不幸な出来事」程度に思われ始めていることの表れなのではないかと私は憂慮する>

 森首相が「日本は天皇を中心とした神の国だ」などと発言して、おおかたの失笑をかったのはわずか4年前のことだが、もうはるか遠い昔のようにさえ感じられる。そのくらい、小泉政権の下で時代の流れが大きく変わった。

 朝日新聞はこの半年で5000部も販売部数を減少させたという。これからはもっと勇ましい「愛国的」な右傾新聞が売れることだろう。そしていずれは、ほとんどのマスメディアがこうした色に染まっていくに違いない。朝日新聞も例外でないだろう。

 そうした暗黒の潮流に流されないように、歴史に学び、物事をより深く考える中で、ナショナリズムという狂気に犯されない「個人力」を育てなければならない。人々の胸に良識の火が甦れば、怨霊は退散し、日本も甦る。私たちは将来振り返ってみて、ふたたび後悔しないためにも、今できることをしよう。

 なお、戦時中のマスメディアの変節については、「マスメディアと戦争」にくわしく書いたとおりである。一般国民の戦争責任について論じた「国民の戦争責任」も今の時代を考える上で参考になると思う。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/masmedia.htm
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/sensou.htm


橋本裕 |MAILHomePage

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