橋本裕の日記
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2005年04月08日(金) 戦艦大和の最後

 60年前の昭和20年4月7日、戦艦大和は九州沖で米軍機の猛襲を受け沈没した。全乗組員3332名中、3063名が戦死したという。奇跡的に生き残った吉田満さんが、戦後「戦艦大和ノ最期」を書いた。

 昨日の朝日新聞「天声人語」は「世界の列強と競って建造した軍艦の象徴だった巨艦の最期は、軍国・日本の敗北をも象徴していた」と書いている。そして、「戦艦大和ノ最後」の文章を引用しながら、断末魔の様子を描いている。

<時ニ『大和』ノ傾斜、九十度ニナンナントス……アナヤ覆ラントシテ赤腹ヲアラハシ……火ノ巨柱ヲ暗天マ深ク突キ上ゲ……全艦ノ細片コトゴトク舞ヒ散ル」。漂流中、一本の縄ばしごをつかみ助け上げられた。

 漂流者で満杯の救助艇では、こんなこともあったという。「船ベリニカカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力激シク……ココニ艇指揮オヨビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバツサ、……敢ヘナクノケゾツテ堕チユク、ソノ顔、ソノ眼光、瞼ヨリ終生消エ難カラン>

 早速手元にある吉田満さんの「戦艦大和」」(角川文庫)を取り出してきて読んでみた。そこには作者自身の体験として、こんなことも書かれていた。

<その手首に二、三度綱を巻き付け、「アゲーエ」と甲板に叫ぶ。甲板より覗く顔に手を挙げて合図。綱静かに引き上げられる。一本の手首、辛うじて一人の体重を支う。その足首に武者振り付く者。・・・

 一本の手首は、二人の体重を支うるに堪えず、どうと外れ、折り重なって墜つ。すべて空し。さらば一人の手首を引き上げ、その下に構えて、纏つく腕をなぐり返さざるべからず。彼らの生きんとする力、貴きか、醜きか、思い惑うな。

 兵一人にても多く救うべきなり。責務なり。生きんとする彼らは必死、生かさんとするわれらも必死、避け難き死闘>

 まさに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思わせる描写である。吉田さんは、「出撃気配の濃密化とともに、青年士官に瀰漫せる煩悶、苦悩は、夥しき論争を惹起せずんばやまず」と書いて、出撃前の戦艦大和の艦内で交わされた兵士達の議論も記録している。これも引用しておこう。

「国のため、君のために死ぬ、それでいいじゃないか。それ以上なにが必要なのだ。もって瞑すべきじゃないか」

「君国のために散る、それは分かる。だが一体それは、どういうことにつながっているのだ。俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結びつけたいのだ。これらいっさいのことは、一体何のためにあるのだ」

「それは理屈だ。無用な、むしろ有害な屁理屈だ。貴様は特攻隊の菊水のマークを胸に付けて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのか」

「それだけじゃ嫌だ。もっと、何かが必要なのだ」

「よし、そういう腐った根性を叩きなおしてやる」

 こうして論戦は加熱し、ついには「鉄拳の雨、乱闘の修羅場」となって終止符が打たれた。しかしそうしたなかで、白淵大尉の下した次の結論には、敢えてだれも異論を唱えるものがなかったという。

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか」

 吉田さんは、「一兵士の責任」と題した文章の中で、次のように書いている。「戦争責任」を論じる上で、これはとても重要な点ではないかと思う。

<召集令状をつきつけられる局面までくれば、すでに尋常の対抗手段はない、そこへくるまでに、おそくとも戦争への準備過程においてこれを阻止するのでなければ、組織的な抵抗は不可能となる。目に見えない「戦争への傾斜」の大勢をどうして防ぐのかにすべてがかかっている。・・・

 戦争協力の責任は、直接の戦闘行為あるいは、軍隊生活への忠実さだけに限定されるのではなく、さらに広汎に、われわれがみずからをそのような局面までおいつめていったすべての行動、あらゆる段階における不作為、怠慢と怯懦とを含むはずなのだ。

 私の場合でいえば、戦争か平和かという無数の可能性がつみ重ねられながら一歩一歩深みに落ちていった過程を通じて、まず何よりも政治への恐るべき無関心に毒されていたことを指摘しなければならない。また国家と国民のあり方について、自分の問題として具体的に取り組んだことがほとんどなかったといっていいだろう。・・・

 戦争から得た利益の度合いや、これに関与した大きさによって、戦争責任の具体的な追訴を論ずることも必要だが、それよりも前に、このような基本的な戦争協力責任、戦争否定への不作為の責任を改めて確認することが、敗戦によって国民が真に目覚めるということであるにちがいない。

 またこのような、根源的な戦争責任を認めればこそ、さらに開戦謀議や、残虐行為などの責任問題を現実的に処理することが、はじめて本来の意味をもつことになる。それらのいわば個別的な責任を、正義や平和の名において裁くための根拠が、ようやく国民の間に用意されるといっていいだろう>

 吉田さんは先の戦争は「虚妄」だったと書く。そして、「平和な自由な時代に、自分自身の道を歩くことを許されたならば、どれほどの豊かな実りを結んだかと惜しまれるような資質が、最もふさわしくない虚妄のために散り果ててしまったむなしさ」を説く。

 戦争が「人を殺す」やりかたは千差万別だが、いずれの場合でも、悲惨なことにかわりはない。こうした悲惨な戦争を二度と起こさせないように、私たちは日常的に努力を継続していかなければならない。自由と平和はこうした地道な努力の上に維持される。自由と平和を守ること、そしてこれを育てて、次の世代に受け渡すこと、これが私たちの世代の義務であり責任である。


橋本裕 |MAILHomePage

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