橋本裕の日記
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| 2004年12月11日(土) |
言語脳をたのしく鍛えよう |
分数計算のできない大学生がいる。しかし、現実問題として、こまごまとした分数計算など実生活で役にたたない。大学生の数学力を面倒な計算問題で測るべきではないと思うのだが、日本では「数学力」は「計算力」だと考えている人が多い。
そして、入試問題などでやたらむつかしい計算をさせたりする。しかし、これはあくまで「計算力」をチェックしているだけで、「数学力」の測定にはならない。昨日も書いたように、「数学力」の基本は「言語力」であり、さらにいえば、「言語力」とは「文章力」だというのが私の考えである。
数学は数や図形といった単純で抽象的な素材を対象にする。シンプルな素材で、その性質や関係性を研究するなかで、「論理的思考力」を鍛える。獲得された体系的な思考力は、数や図形といった抽象的な世界を離れて、はるかに複雑な現実世界を理解するときに役立つ。
有能な政治家や経営者や弁護士は、このことを知っている。だからリンカーンやガンジーの愛読書が「ユークリッドの原論」だった。この2000年間、ギリシャ人の書いた数学の教科書が、聖書につぐベストセラーであり続けた。
数学力は論理的に筋の通った文章が書けるかどうか、そして自分で独自に主題を構想する言語力があるかどうかで測られるべきだろう。日本の数学教育に必要なのは、こうした根源的な言語力を鍛え、文章力を高めるという観点ではないかと思う。
もちろん、こうした観点が必要なのは、数学教育ばかりではない。語学教育そのものが、「文章力」を基本にしたものに改革されるべきだろう。語学教育の目標は、内容のあるしっかりした文章を書く力を養成することでなければならない。
それでは、どうしたら「文章力」が身に着くのか。それはまず、他人の文章を読むことだろう。「文章力」の基本は「読書力」である。しかし、他人の本を読んでいるだけではいけない。本を通して、その作者と対話し、自分の意見や主張を持つことが大切である。
文章が書けないのは、自分の思想や主張がないからである。自分の思想や主張をもち、それを表現するとき「文章力」が必要になる。文章を書くことで、思想や主張はさらに発展する。そしてそのことが、さらに文章を書く動機を高める。
こうしたよき循環のなかに身を置くためにも、まず必要なのは、人生のさまざまなことがらについて問題意識をもち、それを文章に表してみるみることだ。そうしたことの積み重ねによって、私たちの「言語力」が鍛えられる。
大切なのは「言語脳」を鍛えることだが、これは「計算脳」や「作業脳」を鍛えることでは達成されない。いくら難しい計算問題や作業をこなしても、言語能力は向上しないだろうし、むしろその発展を阻害することにもなるだろう。言語脳は他者との会話や対話の中で鍛えられ、成長する。それは苦行というより、むしろ遊びであり、よろこびである。
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