橋本裕の日記
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2004年09月17日(金) アイスマンの親戚

 昨日は5000年前に生きていた縄文人のミトコンドリアDNAの話をした。そんな昔の骨からDNAが採取できるとは驚きだが、ヨーロッパでも5000年前に生きていた人の骨からDNAが採取され、話題になったことがあった。

 1991年9月19日のことだ。この年はたいへん温かい年で、アルプス・チロル地方の氷河が融けだし、そこから一人の男の遺体が発見された。発見したのはドイツ人のベテラン登山家ジーモン夫妻だった。

 ジーモン夫妻は氷から突きだした男の遺体を見て、最初は遭難した登山家だと思ったそうだ。しかし、彼がもっていた古めかしいアイスピックから、彼がかなり古い時代に属する人物だという想像がついた。

「アイスマン」と呼ばれるようになったその死体は、冷凍保存され、オーストリアの法医学研究所に運び込まれて精密検査された。放射性炭素元素の測定から、その遺体は約5000年前の人類だということがわかった。

 世界で初めて人骨の化石からDNAを取り出すことに成功していたオックスフォード大学のブライアン・サイクスもこの研究に参加し、アイスマンの骨からDNAを取り出した。そのときの様子を、「イヴの7人の娘たち」から引用しよう。

<調査対象として与えられた材料は、病理学標本につかわれるような小さな壷に入れられていた。見かけは、どうということもなかった。灰色のどろどろとした物質だ。当時わたしの研究助手をしていたマーティン・リチャーズと一緒に壷を開け、ピンセットを使って中味をつまみ上げてみると、どうやら皮膚と骨が混ざったもののようだった。

 見た目はたしかにぱっとしなかったが、それが腐敗しはじめている様子も見られなかった。そこでわれわれは、熱意と希望的観測を持って仕事にとりかかることにした。オックスフォードに戻り、小さな骨のかけらを、かって古代の化石で行ったのと同じ抽出プロセスにかけたところ、思った通り、DNAがみつかった。しかも、ふんだんに>

 これだけなら、どうということがない。しかし、問題は、このアイスマンのDNAとそっくり同じ塩基配列をもつ人物が、現代のヨーロッパ人のなかに発見されたということだった。それはサイクス博士の友人のマリーという女性だった。彼女はイングランド南部にすむアイルランド人だった。このことはさっそく「サンデー・タイムズ」に「アイスマンの親戚、ドーゼットで発見」という見出しで報じられた。

<わたしはマリーがアイスマンとのあいだに感じた絆に強く惹きつけられた。どんな記録にも残されていない、何千年も昔に死んだ人間と遺伝学的につながっているいるのは、なにもマリーひとりではないはずだ。もしかすると、いまこの時代に生きている人間に目を向けるだけで、過去の謎を解明できるのかも知れない。(略)

 そうとなれば、研究の幅を広げて現代人全体を対象とするのが不可欠だ。いま生きている人間のDNAをさらに解明してはじめて、人類の化石の調査結果からなんらかの文脈を組み立てられるようになる。

 そこでわたしは、現代ヨーロッパ人をはじめとする世界各国の人々から集めたDNAについて、できるかぎりのことを見つけるための研究に取りかかった。そのなかになにを見つけようが、それはそれぞれの先祖から直接届けられたメッセージなのだ。過去は、わたしたち全員のなかに眠っている>

 このことがきっかけになって、サイクス博士は普通の医学遺伝学者から、まったく新しい科学分野に転出することになった。それは人類の歴史をDNA解析によって検証するというとほうもない試みだった。

 博士のこの研究から、10数年のうちに、これまでの人類史の定説を覆すさまざまな新事実があきらかになって行った。その成果が「イヴの7人の娘たち」であり「アダムの呪い」である。この両書はすばらしく面白い。その内容について、この日記でおいおい紹介しよう。


橋本裕 |MAILHomePage

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