橋本裕の日記
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戦争中の報道姿勢について、朝日新聞は敗戦から8日目の8月23日の社説「自らを罪するの弁」で、ようやく自らの侵した戦争責任にふれている。
<敗戦の責任は決して特定の人々に帰するべきでなく、一億国民の共に負うべきものであらねばならぬ。さりながら、その責任には、自ずから厚薄があり、深浅がある。 特に国民の帰趨、世論、民意などの取り扱いに対して最も密接な関係を持つ言論機関の責任は極めて重いものがあるといわねばならない。吾人自ら如何なる責任も如何なる罪もこれを看過し、これを回避せんとするものではない>
毎日新聞は8月20日が社長が責任をとってやめているが、朝日の幹部はほとんど辞めようともせず、この自らの戦争責任に触れた社説でも「決して特定の人々に帰するべきでなく」と、幹部の責任はあいまいにしている。戦後も、朝日新聞の上層部は、責任感が極めて希薄であったといわなければならない。
敗戦とともに、朝日では責任のなすりあいがはじまり、内紛が生じて、その結果、何人かが辞職に追い込まれているが、そのうちの一人の鈴木文四郎が「中央公論」(昭和23年2月号)こんなことを書いている。「朝日新聞の戦争責任」より孫引きしよう。
<軍人と酒を飲み、晩飯を一緒にするのを誇りとしていた男が、あるいは陸軍省の「指導記事」の作文まで得意になって手伝っていた男が、あるいは軍官の命令の先走りをして統制の強化を絶対必要と常に説いていた男が、あるいは天皇の神性や「みいくさ」の「深遠」な意義を狂信的国学者のお株をとるつもりで書いていた男が、それまで書き続けてきたものとは対蹠的な作文を書き出して、読者が、少なくとも識者が、これを納得していると思ったら、それは世間様というものを余りに甘く見るものではなかったろうか?>
朝日は昭和20年11月7日になってようやく「国民と共に立たん」という社告を載せ、「幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力」だったことを反省し、社長以下重役が総辞職して責任を取ることを明確にした。
しかしこれも、わずか33行の文章で、一面下方に小さく目立たないように掲載されただけ。自らの戦争責任にふれた内容はきわめて抽象的な一般論でしかない。しかも、数年後、辞職したはずの村山社長は会長に返り咲き、さらに社長に復帰して、昭和39年まで経営の実権をにぎっている。上層部の辞任劇は国民を欺くための、とんだ茶番だったわけだ。
同様なことが他の新聞社でも起こっている。たとえば読売新聞社は朝日新聞よりはるかに戦争遂行に協力的だったが、社長の正力松太郎は社員大会で辞任が要求されたにもかかわらずこれを拒否、GHQから戦犯容疑指名を受けて、昭和20年12月にようやく辞任することを表明した。しかし彼も昭和26年に社長に復帰して、昭和44年まで経営の実権を握っている。
私が思うところ、新聞などというものは今も昔も、やはり経営が第一だということだろう。国民が軍隊を批判していた昭和6年までは、大いに軍部独裁を批判して国民の喝采をかっていた。たとえば、この年の4月19日の社説では「内閣の決心を示せ。軍備整理の実現につき」と軍縮を強く求めたものになっている。満州事変の始まる前日の8月8日の社説でも「軍部と政府、民論を背景として正しく進め」と題し、次のように書いている。
<少なくとも国民の納得するような戦争の脅威がどこからも迫っているわけでもないのに、軍部はいまにも戦争がはじまるかのような必要を越えた宣伝に努めている。・・・ 現内閣は国民多数の支持するところだ。ことに軍備縮小の旗印が、国民の支持するところであることは、疑いを容れることのできぬ事実である。・・・ 世論に通用せぬ訳の分からぬことをいう軍部の腰はなかなか頑強であるやに伝えられる。現内閣は正義と民論を背景にしてどこどこまでも無理を圧して道理を通さねばならぬ>
ところが、満州事変を境に論調がみるみる変わっていく。たとえば10月1日の「満蒙の独立、成功せば極東平和の新保障」と題した社説では、「満州に独立国の生まれ出ることについては歓迎こそすれ反対すべき理由はないと信ずるものである」と書いて、事変が起こる前まで「満州は中国の一部」としてきた主張を完全に黙殺している。
満州事変の真実を追究せず、軍部の発表を丸飲みし、なぜこうも素早く戦争賛美に転向したのか。戦後の自己弁明によると、それは軍部や右翼の圧力があったからだそうだ。たしかにそれも要因には違いない。しかし、もっと大きな要因は、戦争賛美の「民意」がにわかに大きくなったからだ。それまでも朝日新聞は右翼や軍部からいやがらせを受けていた。しかし、世論が軍部に批判的で、新聞が売れている間は屈しなかった。
ところが満州事変を境に、世間の風向きが変わった。つまり、戦争反対では新聞が売れなくなった。他社は号外まで出して、どんどん稼ぎまくっている。これを尻目に、武士は爪楊枝とばかりはいっていられなくなった。だから、この180度の転換は、実のところ、経営戦略の転換だった。しかし朝日新聞の転向によって、反軍の世論はそのもっとも頼りとする足場を失い、軍国主義が雪崩を打つように日本全土を覆うようになって行った。
今日朝日新聞は反戦平和を旗印にして、良識を感じさせる紙面作りをしている。しかし、世論は右傾化しつつある。しだいに新聞が売れなくなったとき、おそらく朝日の論調も変わって行くことだろうし、その兆しはもう感じられる。商業主義によって生きている新聞の主張する正義や世論など、あまりあてにならないものだと心得ておいた方が無難かも知れない。
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