橋本裕の日記
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世の中には、幸運な出合いがあるものだ。この二日間、「喪失の国、日本」というエリートビジネスマンだったインド人の書いた本を読みながら思った。私がこの本を目にしたのは、今年の3月に東京へ遊びに行ったときだった。
時間調整のために、何気なく入った街角の書店の新刊書コーナーで手に取り、そのまま30分ほど読んだ。私は速読術の名人である。この位の時間があればたいてい二冊や三冊の本は読んでしまうのだが、この本は違った。一字一句味わいながら読んでいた。
時間が来て、私はその本を買おうか迷った。しかし、旅先のことであり、懐の淋しさも手伝って、その本を書架に戻した。しかし、書店を出て、友人と会ったりしているうちに、やはり続きを見たいと思った。そこで書店があると、新刊書売場を覗いてみたが、その後、この本を目にすることはなかった。
ところが、先日、私はこの本を行きつけの図書館で見つけた。図書館の書架に「喪失の国、日本」というタイトルを見出して、私の心は躍った。さっそくこれをかり出して、300ページ以上あるこの本をじっくりと読んだ。
この本を書いたM・K・シャルマさんは、バブル崩壊直後の日本に1年8ケ月ビジネスマンとして滞在し、そのあとインドに帰り、田舎に引きこもって、この「日本滞在記」を書いた。そして「自家本」としてインドで出版したようだ。ヒンディー語で書かれた自分の本が日本で出版されるとは思ってもいなかっただろう。
この本を訳した山田和さんは1997年2月、取材のためにインドを訪れた。そしてニューデリー南部のあるさびれた古本屋の棚で、偶然これを目にしたのだという。山田さんはヒンディー語で書かれた「日本の思い出」というタイトルにひかれた。インド人が書いた「日本滞在記」が珍しかったからだという。彼は前書きにこう書いている。
<私はかねがね宗教も論理も価値観もちがうインドの国の人たちが、日本に来たらどのような印象を抱くかということに興味があった。日本人の旅行者や滞在者がインドで味わうあの強烈な文化的違和感(カルチャーショック)を、日本を訪れたインド人もまた、逆のベクトルで感じることは疑いないと思われたからである。
それはどのようなものなのか。また、経済の高度成長と崩壊過程を通じて荒廃した日本人の精神が。やや古めかしくて深い思慮を持つ彼らにどのように映るかについても興味があった。私にとって、デーヴァナガーリー文字で書かれたこの本を読めるときがいつ来るかわからなかったが、入手の機会を逃す手はなかった>
山田さんはヒンディー語の書物を読むことはできない。読めるのは著者名とタイトルだけだったが、何か磁力のようなものを感じて、これを購入した。そして、再び旅を続けた。10日後、彼はインド西部のレージャスターン州を旅していた。その州の広さは日本本土とかわらなかったが、大半は不毛の荒れ地だという。インドの中でも僻地で、何千年も前の先住民の文化が残り、石器時代同然の生活をしている人たちもいる。そこに今は廃墟になった数々の遺跡があった。
山田さんはすでに20年前に、ここを訪れていた。その記憶をたどりながら古い城の城門の前を歩いていると、突然、中年のインド人に声をかけられ、日本人と知ると、彼の家へ食事に誘われた。山田さんを案内してきたインド人のタクシー運転手は、彼の身を案じ、このような誘いには決して乗らないように忠告した。しかし、山田さんは夕方、その男の家を訪れた。
<私は初対面で男に惹かれたのだ。彼はいったいどんな男なのか。それを知りたい、確かめたいという気持がわきはじめていた。私は、好奇心の強さと同じほど自分が慎重だという自負ももっていた>
その男の洋風の家の庭にはこのあたりでは珍しく緑であふれていた。彼は栽培している鉢植えの植物にホースで水をやりながら、ラテン語の植物の名前を教えてくれた。砂漠の果てに住みながら、彼は植物を友とし、自然と人生を楽しんでいるように見えた。彼の出してくれた茶は淡泊だったが、甘みの奥に薬草のような仄かな香りが忍んでいた。
<男は私にこの国の印象を訊ね、私の旅のルートを訊いた。私は話すことがいくらでもあった。インドは日本とあまりにちがいすぎる。足を一歩前に出すたびに、腕を一振りするたびに、力車のステップに足をかけるたびに、世界はぎしぎしと音をたて、思いもよらぬドラマがはじまる。それが私にとってのインドだと答えた。
そして、インド人が日本に来たら、どのように感じるか大いに興味がある。ところで私は旅の最初で奇妙なものを手に入れたと言って、バッグの中からくだんの本を取りだして見せた。それを見て男の表情が変わった。急に立ち上がり、奇声を発して、それから大声で笑い出した。
まったく神の巡り合わせとしか言いようがないのだが、城門そばで会い、私を食事に誘ってくれたこの人物こそ、まさしくこの書物の著者だったというわけである。日本の九倍もある国土の、砂漠の果ての町で、九億五千万のうちの一人と、私は奇跡的に巡り合ったのだ>
男は山田さんのために、この本を英訳しようと約束してくれた。3ヶ月後、山田さん宛てに、この本の英訳がおくられてきた。本は彼の期待を裏切らなかった。むしろ想像以上の内容だった。こうして、まったく思いがけない偶然で、この本が日本で出版されることになったわけだ。明日の日記で、本の内容を紹介しよう。
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