橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will


2004年07月09日(金) 共生的人生観のすすめ

 私は道徳が好きではない。道徳家などというものを信じていない。とくに、愛国心とか愛郷心などを押しつけられるとぞっとする。私は子供たちに道徳を語りたいと思わないが、それでは何を語るのか。この50年余生きてきて体得した人生観や自然観、社会観である。

 HPに日記を連載しはじめてやがて5年になる。この間、一日も休まず日記を書いてきた。原稿用紙にしたら5千枚はこえているだろう。それだけ書いても、まだ書き尽くせない。それだけ人生は奥が深いということだ。なかでも私が日記に繰り返し書いてきたのは、私が自分の人生哲学だと考えている「共生」についてである。

�\弧審萋阿隆靄椶砲△襪里篭�生関係である。
�△海龍�生関係が破壊されると、様々な問題が生じてくる。
��これを解決するために、私たちはその障害をのりこえて、新たな共生関係を作り上げていかなければならない。

「共生」は「みんで仲良く」という単純なことではない。たとえば、ライオンとシマウマで考えてみよう。この両者は食物連鎖で上下関係にあり、けっして「仲がいい」わけではない。しかし、ライオンにとってシマウマが大切なように、シマウマにとってもライオンは大切な存在である。

 人間がライオンを乱獲したらどういうことになるか。おそらくライオンという捕食者がいなくなって、シマウマの数が増える。そうすると草原の草が食べ尽くされ、結果として、シマウマも全滅することになる。

 つまり、現象面だけ見ると、シマウマとライオンは敵対しているようだが、本質的には草原を媒介にしてシマウマはライオンと共生関係にある。ゆたかな大自然が、こいうした共生を可能にしているわけだ。だからもし、人間が草原を破壊すればこの関係はこわれる。

 ライオンがシマウマを襲うその瞬間だけとらえれば、それは敵対的関係のように見える。しかし、いつもシマウマとライオンが敵対しているわけではない。ライオンは決して必要なとき以外、シマウマを襲わないし、シマウマもそのことを知っているので、ふだんは伸び伸びと、ライオンのすぐ近くで草を食んでいる。

 長い目で見れば、自然界はあきらかに共生的だ。このことを身近で実感するには、自然林を歩いてみればよい。そこでは様々な植物や動物が共存し、多彩な生命のハーモニーに満ちている。じつはこうした豊かな生態系は長い年月をかけて作り出されたものだ。開発の進む荒れ地ではこのような共生関係はみられない。そこで繰り広げられているのは、刹那的な生存競争だけだ。強者が他者を排斥して一人勝ちする殺伐とした風景だ。

 ホップズは「人と人」は自然状態において「狼と狼」の関係だと言った。しかし、ロックはホッブスのいう「自然状態」は仮説にすぎないという。人間同士を敵対させるのは、むしろ彼らの住んでいる社会が十分に機能を果たしていないからだと考える。

 こうした認識に立つことで、人類は社会を変革し、民主主義という平和な制度をこの地上にもたらすことができた。戦争や殺戮をホップスのように人類の本能とは考えずに、むしろ人間の本質、生命の本質は共生関係にあるとするロックの思想によって、私たちは実りのある、実効的な方法で社会を建設することができた。

 それではなぜ、人間は自然を破壊し、社会を破壊して、この共生関係を壊そうとするのか。ライオンならば、決して無駄な殺生はしないだろう。人間が過食にふけり、無益で残酷な殺人をするのはなぜか。それは人間が壊れているからだが、それでは何故人間が壊れるのか。それは人間をとりまく関係が壊れているからだろう。

 こうしたロック的な共生的社会観に立つことで、世界の本質が見えてくる。そして、飢餓やテロ、戦争、貧困、自然破壊、この地上の存在する様々な厄介な問題について、はじめて実効のある提言や正しい実践法が見出せる。

 人生そのものがそうであるように、「共生」という概念はある意味で矛盾に満ちた弁証法的概念だが、それだけにとても奥深く、魅力的である。この世界をよりよくするためにも、「共生論」というすぐれた思想を多くの人に理解してもらいたい。そうした人生観に立って、政治や経済を建設的に考えていく人々が、少しでも増えてくれることを願っている。


橋本裕 |MAIL |HomePage

My追加