橋本裕の日記
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| 2004年07月08日(木) |
このままで日本は大丈夫か |
ある人にメールで紹介されて、東京都教育庁の吉本恒幸指導部副参事の「教員を目指す皆さんに期待して」という文章を読んだ。
<国旗国歌の指導は、自国や外国の国旗国歌を尊重するという態度そのものを養うことを目的としています。子どもに範を示すべき立場の教師が、そうした態度を取れないとすれば、教員として不適切と言わざるを得ません。
教員には、もちろん思想信条の自由はあります。しかし、それは内心にとどまる限り保障されるもので、外部的行為となって表れる場合は制約があるということは、最高裁の判例等でも明らかになっております。教員になれば、何を語ってもいい、何をしてもいいというものではありません。公務員として仕事をすることを甘く考えてはいけません>
国旗・君が代の指導を強制し、処分するなどということは正気の沙汰とは思えないが、石原知事は、「東京から日本を変える」と言っている。おそらく、数年後には、国旗や国歌に対する生徒への指導が強化され、教育現場でのしめつけが全国に及んでいくのだろう。
これに対抗する動きは、ほとんどなきにひとしい。教育界のこうした動きを、多くの人々は歓迎しているか、他人事だと思っているのだろう。たとえば、北海道で教員をしているある人からは、こんなメールをいただいた。
<私たち教員の内心の自由は、あくまで私的ときであると考えているのですが、それはそもそも間違った考えなのでしょうか? 仕事をしている限り、公人であり、法律、教育基本法、学習指導要領を遵守することは当然ではないのですか? 国歌国旗問題は、法律化されているわけですから、個人の思想信条で指導を拒否するのは正しいことなのでしょうか?>
自由というものは単なる「内心」だけのものではない。自由とは決してプライベートなものではなく、すぐれて政治的・公的なものだ。思想・信条の自由を保障するとうことは、ただ心の中だけで好きなことを考えていていいよということではなく、当然ながら身体的な自由も含まれる。
憲法にてらせば、もとより「職務命令」で国歌や君が代を強制することが問題である。ましてや、処分などあってはならないことなのだ。参考までに、「国旗及び国歌に関する法律」(平成11年法律第127号)を以下に引用しておこう。
−−−−−−−−−− (国旗) 第一条 国旗は、日章旗とする。 2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。 (国歌) 第二条 国歌は、君が代とする。 2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。 附 則 (施行期日) 1 この法律は、公布の日から施行する。 (商船規則の廃止) 2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。 (日章旗の制式の特例) 3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定に かかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、 日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の 長さの百分の一偏した位置とすることができる −−−−−−−−−−− ちなみに、国旗に対する忠誠心が旺盛なアメリカでさえ、このように礼拝を強制したり法的に処分を加えたりすることはありないし、実際に公立学校で国旗礼拝を強制することについて、違法判決が出ている。
<修正第14条は,現在各州にも適用されるので,州自体や,州が設けたすべての機関から市民を保護する。・・教育委員会も例外ではない。これらの機関が重要で微妙な,また広範な裁量的権限を有することは当然であるが,しかし,それれらは権利章典の範囲を超えて行使できるような権限ではない。われわれが,自由な精神をその源で窒息させ,また子どもにわが国の重要な原則を単なる決まり文句として,価値を低めて教えるべきでないのなら,教育の場においても,子どもが市民となるのに必要な教育を受けられるよう,憲法上の個人的自由を慎重に保護しなければならない> (テンカー事件アメリカ合衆国連邦最高裁判決1969年) http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk084a2.htm
ついでに、4/2の朝日新聞から引用しよう。
<国旗・国歌法が99年に成立したとき、当時の小渕首相は学校での扱いについて「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えておりません」と国会で答弁した。当時の野中官房長官も「強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が必要」と答えていた。この記録を生徒に読ませ、「あなたの学校では首相らの約束が守られていますか」と尋ねてみたらいい。
多民族国家の米国では統合の象徴としての国旗への思いがとりわけ強い。国旗に対する「忠誠の誓い」を生徒に義務づけている公立学校も多い。そんな米国ですら「誓い」を拒む権利は連邦最高裁が1943年に認め、同様の判例が重ねられてきた。それこそ国家が守らなければいけない一線だ、というかのように。
しろじに あかく ひのまる そめて ああ うつくしい にほんの はたは
小学1年生は、みんなこの歌を習う。日の丸を美しいと思う心は、強制して育てるものではない>
ところで、スティーブ・ハッサンは「マインドコントロールの恐怖」という本のなかで、支配のレベルを次の4段階で説明している。
�々堝阿離灰鵐肇蹇璽襦兵�由時間と行動の制限) �∋彖曚離灰鵐肇蹇璽襦福�か×かの紋切り型の思考) �4蕎陲離灰鵐肇蹇璽襦丙甍�感、恐怖) �ぞ霾鵑離灰鵐肇蹇璽襦柄�択された知識や情報しか受け付けなくなる)
たとえば、レベル�,涼奮�として、国歌・国旗の強制があげられよう。その際、強調されるのが、「国歌や国旗は無条件に尊重されなければならない」という石原都知事流の問答無用の紋切り型思考だ。これはレベル�△涼奮�だと言える。
こうした精神的リンチや戒告処分のような被害を受けたり、被害を受けた人の報道に接しているうちに、私たちの心には、「お上に逆らって何かをするととんでもないことになる」という恐怖心や罪悪感が植え付けられる。これが��の段階だ。
そして、自己防衛の最後の段階として、権力者によって選択された知識や情報しか受け入れなくなるわけだ。日本はレベル�い涼奮�に近づいている。
7月5日の朝日新聞に、全国の知事の地元での支持率・不支持率のアンケート結果が発表されていた。全国の知事の支持率の平均は53パーセント(不支持率は17パーセント)だそうだ。その中で石原東京都知事は66パーセントの支持(不支持18)でベスト5に入っている。その一方で、もっとも県民の不支持率が高いのが長野県の田中知事(支持35,不支持40)だった。
折しも、7月4日に東京の渋谷で行われた「ワールドピースナウ」のデモで、3人の逮捕者がでたという。参加者の一人が次のようなレポートを書いている。ここに一部引用しておこう。
<・・・機動隊は女性たちにまでどついたり突き飛ばすなどの暴行を行ってた。私の知り合いの60代の女性は「こっちにでるな」といきなり機動隊につき飛ばされ、5メートルもとばされた。こんなことは、サウンドデモでもなかった。
3時頃。後尾にいた男性が、「もっと早く歩け」と機動隊からしつこく介入を受け始める。男性が普通に歩いていると、さらに「早く歩けといってるだろ」とさらにしつこく激しい口調で強制しだした。男性が機動隊の盾をポンとけったとき、10メートルもあとにいた機動隊員が「現認、逮捕」とさけんだ。
そして、男性は機動隊に取り囲まれ連行された。それを止めに入った男性も「逮捕」と連行された。こんな不当な逮捕があっていいのか。これは何百人の人の前で行われた不当逮捕だ。男性がけったのは、機動隊の盾だ。身体に暴行は一切加えてない。
さらに恐ろしいことが起こった。「また、逮捕だ」だれかがさけんだ。急いでそちらに走る.すると17、8人の機動隊が一人の人をとり囲み、殴るケルの暴行を加えていた。こん棒でその人をぼこぼこにしていたそのひとは、ひきたおされ、着ている洋服もはだけ、しまいには、上半身はだかだった。ぼろきれのように暴行された人は実行委員のやぎさんだった。
もうひと機動隊に取り囲まれもみくちゃにされていたひとはサミーさんだった。とうとう実行委員までねらわれたのだ。この惨状は多くの参加者が目撃してる>
国会では有事関連法案や個人情報保護法が成立し、年金改革法を強行採決した。小泉首相はイラクに自衛隊を送り、多国籍軍参加を独断で決めてしまった。さらにこの先憲法を改悪して、日本を戦争が出来る国にしようとしている。世論やマスメディアの右傾化には恐るべきものがある。このままで日本は大丈夫なのだろうか。
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