橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2003年07月28日(月) こうもりの空

1. 転校生

 父が警察官をやめて、私達の一家が福井に帰ってきたのは、昭和三十七年の四月の末だった。さっそく私は母に連れられて、転校先の春山小学校に行った。担任の先生は「佐藤」という名前の若い先生だった。体育の授業の最中だったらしく、私達は初対面の挨拶だけ交わして別れた。

「F先生はいないのかなあ」
 私は小学校一年生のときの担任の先生を思い出した。何しろこの学校の門を潜ったのは五年ぶりだ。職員室や廊下で顔を会わせた先生方に見覚えはない。F先生も転勤されたのかもしれない。

 校門を出て、福井大学の屏沿いの道を歩いた。近道をするには大学の構内を抜ければいいのだが、あいにくそこの門がしまっていた。
「お友達ができるといいわね」
「さあね」
 小学校一年生のときの同級生で思い浮かぶのは幼なじみの葉子くらいだった。他に親しい友達はいなかったが、転校はこれが三回目なので何とかなりそうだ。

 心配なのは勉強だった。若狭の学校へ転校したときには、勉強面でかなり楽だった。学習のテンポが遅いのでのんびりできた。宿題もほとんど出ないので、遊んでばかりだったが、福井の小学校はそんなわけには行かない。もともと成績が優れていたわけではない。この四年間でさらに差をつけられたのではないか。

「最初のうちは大変だろうけど、何とか挽回するのよ」
「頑張るよ」
「通知票に5があったら、ヨーロッパ軒に行きましょう」
 ヨーロッパ軒と聞いて、私は元気になった。そこの「ソースカツ丼」が私の好物だった。若狭の学校では算数と理科で5をとっていたから、ひとつくらいは5がとれるかも知れない。

 ヨーロッパ軒の創業者は明治時代にフランスに留学して、日本で初めて「かつ丼」を売り出したそうだ。店は東京の神田にあったが、関東大震災でつぶれたので、出身地の福井に戻って営業を始めたのだという。福井では洋食といえば「ヨーロッパ軒」で、少女時代の母もその店のカツ丼を食べるのが楽しみだったという。

 もっとも、レストランで外食などというのは、盆か正月でもないかぎりできない贅沢だった。まして、今は父親が警察を辞めたばかりで失業中である。母も私の成績にかこつけて、「カツ丼」を食べたかったのかもしれない。
 私たちは書店に寄って、理科と社会の参考書を買った。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加