橋本裕の日記
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2002年08月23日(金) 魂の産婆術

 ソクラテスがなぜ裁判にかけられたのか、弟子のプラトンが書いた「ソクラテスの弁明」によると、告訴の理由は「青年達を腐敗させ、かつ国家の認める神々ではなく別の新規なダイモニアを祭るがゆえに罪を犯している」ということである。

 これに対して、ソクラテスは自分ほど青年の教育に熱心だった者はいないといい、この点ではむしろ賞賛されるべきだと答えている。さらに、古来の神々に対しても常に礼拝を怠らなかったと述べている。実際、ソクラテスに具体的な涜神行為があったわけではなかった。

 告訴状の内容から、ソクラテスの裁判を宗教裁判だという人がいるが、ギリシャは多神教の国であり、宗教についてははるかに寛容である。新規なダイモニアや神を信仰したからと言って、これまで告訴さたことはないし、まして死刑判決まで受けることは考えられない。

 とすると、ソクラテスの第一の罪は、「青年達を腐敗させ」という、教育上の問題であった可能性がある。彼が青少年にたいする教育に熱心であったことが、かえって一般の「良識ある」アテネ市民の反感を買っていたのかもしれない。

 この点について、ソクラテスはどう反駁したか。「ソクラテスの弁明」から拾ってみよう。審議中にソクラテスは告発者のメレトスと対話を試み、彼にこう問いかけている。

○ソクラテス「君は、私が若者を腐敗させると訴えたが、それでは若者を善いものにするのはいったいだれだというのか」
○ メレトス「それは法律だ」

 この問答は、「ソクラテス裁判」の核心を示している。メレトス一派は「法律」や「習慣」とその背後に存在する「国家」に対する尊敬と服従こそが青年を正しく導く方法だと主張している。そしてこの主張は、大方のアテネ市民の常識でもあった。だからこそ、アテネ市民の中から籤で選ばれた500人の陪審員たちの過半数が、ソクラテスの有罪を認めたのである。

 教育の基本は「法律」であり、「規範」を教えることだというメレトスや一般市民の常識に対して、それではソクラテスの方法はいかなるものだったのか。それはたしかにかなり型破りで新奇なものには違いなかった。それは問答によって、眠っている若者の魂を、その暗黒の眠りから解放することだった。

 ソクラテスはいかなる場合でも決して解答を与えはしない。ただ、若者は彼と対話をしているうちに、これまで当然の如く思い信じていたあらゆる出来事や「規範」が、実はなんら根拠のないものだと、突然気付くのである。そして、この世にさまざまな「問い」が存在し、まさに人間はそのようにして、万物を「問う」ことのできる存在だと気付く。

 ソクラテスは若者を対話によって導く自分の方法を「産婆術」にたとえている。ソクラテスの言葉を触媒として眠りから覚めた若者は、まったく新たな精神の目で世界を見始める。そしてこのとき大切なのは、そこに何らかの強制された感覚がないことである。若者は自分自身で、この明るみの中に生まれ出たと感じる。つまり、これまでの自分はただ精神的に眠っていたのであり、いまようやく魂が目覚めたと感じるのである。

 そのとき、若者がどれほど大きな感激を味わい、ソクラテスを偉大な教師として敬愛したか。プラトンもまたこうして魂を覚醒され、人生に実にさまざまな問いが存在することの驚異を経験した一人だった。その感激が彼の文章にほとばしっている。たとえば「饗宴」の中で、ソクラテスを敬愛するアテネ随一の美青年アルキビアデスにこう語らせている。

「ソクラテスが話をするのを聞くとき、男であれ女であれ、若者であれ、だれもが強い衝撃を与えられ、神懸かりにされるのだ。・・・だれかソクラテスの内面を見た者はあるか。僕は昔見たことがあるのだ。そのときそれは神様のようで黄金のようで、全く美しく驚くべきものに見えたのだ」

 ソクラテスはこのようにして実に様々なこと、「美とは何か」「善とはなにか」、「徳とは何か」そして「国家の規範はどのようにして与えられるか」を人々に問いかけた。ソクラテス以前に人生についてこのような自由な問いかけをする者はいなかったし、少なくともソクラテスのように人々の魂の奥底に届く効果的なやりかたをする者はいなかった。このゆえに、若者たちは彼を師とあがめ、神とまであがめた。

 できあいの「規範」への服従を尊ぶ人々にとって、このような状況はゆるしがたいことだった。彼が提起したさまざまな問いは、神々とこれによって治められるべき国家に対する挑戦とも考えられ、決して容認されるべきものではなかった。ソクラテスを処刑することは、つまりこのような問いを圧殺することだった。これが「ソクラテス裁判」の真相だと言ってよい。

 ソクラテスは現代においても、おそらくは多くの人々には受け入れがたい存在かも知れない。しかし、彼の言葉に耳を傾けて魂の覚醒する感激を味わった人たちからは、偉大な教師として慕われ続けるだろう。「ソクラテス裁判」は遠い昔のギリシャの話ではない。それはわれわれ現代人の心の中に今も封印されている、生き生きとした魂の蘇生のドラマである。

<今日の一句> 思ひ出を 訪ねてみれば 草のなか  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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