橋本裕の日記
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| 2002年03月05日(火) |
生きた学力の見える眼鏡 |
3月3日の朝日新聞の「私の視点・生きた学力の評価を」に、千葉大学の「飛び級」試験の小論文の問題が紹介されていた。「人間に見える光の波長の範囲が変わったとしたら、人間の生活様式や行動様式はどう変わるか」という問題である。ちなみにこの試験は辞書や参考書、パソコンが持ち込み可能だそうだ。
筆者の宗守優子さんには登校拒否の中2の息子さんがいる。彼にこの問題をぶつけてみたら、「どのくらい波長がずれるかで違うよ。たとえば赤なら、ポストが見えなくなって手紙が届けられなくなる。ボールに赤いペンキを塗れば、消える魔球になる。・・・・紫外線が見えると紫外線対策がしやすくなる」などと答えたという。
さて、私ならどんな答えを書くか。少し考えてみたが、あまり大したことは浮かばない。ただ「紫外線が見えると紫外線対策がしやすくなる」という答えにヒントを得て、たとえば紫外線が見える眼鏡があればいいな、いや、そのうちに人間自身が進化して、紫外線が見えるようになるかもしれない、などといろいろ考えた。
宗守さんの息子さんは小2のときに学校で心身ともに疲れるできごとがあって、集中力や記憶力などが極端に低下してしまい、読み書きや計算、単純な暗記などが苦手になってしまったという。しかし、この問題に対する答えなど、なかなかいい線だ。彼は国語のテストの点数は低いけれど、宗守さんが書いた投稿文の批評などはできるのだという。
「顕微鏡の各部の名称を正確に暗記した子どもより、顕微鏡の操作ができて顕微鏡を使って見たい物のある子どもの方が価値があるはず。なのに、学校では暗記力の高い子どもの方がよい評価をもらえる」
「地理なら、いろいろな国にさまざまな暮らし方があることを理解できれば十分なのに、イヌイット(エスキモー)の氷の家の名称を覚えなければ点数を稼げないのだ」
「生きた学力を必要とする時代なのに、学校の体質はあまりかわっていない」と訴える宗守さんの主張はもっともだ。「生きた学力の見える眼鏡」があればいいのだが、残念ながらそんな魔法の眼鏡はない。もし発明されたら、まっさきに学校の先生方にかけてもらってはどうだろう。
私たちが生徒の生きた学力を見抜けないのはなぜか。それは私たち自身が「生きた学力」を身につけていないからだ。だから大切なのは、大人がもうすこし本当の学力を身につけて、社会や人生に対して自分の主張や批評を持つことだ。そうすれば「生きた学力」がどういうものか、少しは理解できるようになるだろう。
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