橋本裕の日記
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今年は例年にない大雪だった。私の住むあたりでも雪が積もった。とくに、私の家の周辺は多かった。大学生と高校生の娘二人が夕食後、家を抜け出したので、なにかと思ったら、近所の公園で雪合戦をしていたのだという。なんとも他愛のないことである。
その後、あたたかい日が続いて、雪は次第に融けた。それでも、日当たりの悪い私の家の庭や、軒先の雪は最後まで融けずに残っていた。公園に行くと、やはり所々に、雪の固まりがしばらく残っていた。
そうした雪の残り方に意識が向いたのは、たぶん私が世界の孤立言語について、あれこれと思索をめぐらせていたからだろう。日本語やバスク語の他に、ウラル山脈のふもとにも、類縁のわからない孤立言語群が残っている。こうした孤立言語のありさまが、どこか残雪の分布に似ているように思えた。
松本清張の「砂の器」に、西日本の鳥取、島根の両県にかけて、東北弁に似たズーズー弁が飛び地のように残っていることがうまく使われていたが、こうした日本国内に飛び地のように残る方言のありさまも、どこか、世界の孤立言語の分布と似ている。
バスク語や日本語のように、周囲に孤立した言語が残っているとき、この孤立現象を説明するのに二つの方法がある。ひとつは、その言語の担い手が移動したと考える方法で、私はかりにこれを「移動説」となづける。大野氏が日本語がタミル語と似ているのは、タミル人が船団を組んで移住してきたからだと考えるのはこの「移動説」である。
これに対して、もう一つ、別の考え方がある。それはもともと広くそうした種類の言語が使われていたが、雪が融けるように周囲を浸食されて、あるいは潮が満ちてきて飛島が出来るように、ところどころ取り残されて孤立言語になったという見方である。私はこれをかりに「残留説」とよんでいる。
「残留説」で有名なのは、柳田國男の「方言周圏論」だろう。関西で「デンデンムシ」と呼ぶ生き物を、辺境の東北と南九州では「ナメクジ」と呼ぶ。こうしたことから、柳田氏は新しい言葉が都を中心に波のように広がり、周辺部になるほど、古い言葉が残ると考えた。
なぜ東北地方と同じズーズー弁が島根や鳥取に残っているのか。このことも「方言周圏論」できれいに説明される。もともと日本の古代言語がズーズー弁に似ていたのである。そのズーズー弁がそのまま周辺部に残ったわけで、何も東北人が中国地方に集団移住してきたわけではない。
私は世界に飛び地のように存在する孤立言語にも、この「言語周圏論」は基本的に成り立つのではないかと思っている。その理由は孤立言語がすべて「膠着語」であるということ、そして、それらの言語がいずれも周囲を強力な「文明語」によって取り巻かれ、その圧迫に対して抵抗してきた歴史があるということである。
そして、もしこの仮説が認められるなら、そこから、文化と文明の在り方について、さまざまな有意義な認識が得られるのではないかと思っている。たとえば、日本語について、これが世界でももっとも原始的な言語のありかたを保存している可能性が生まれてくる。これらのことについては、また別に、日を改めて、くわしく考察してみたいと思っている。
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