続・無気力童子の紙芝居
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2012年10月05日(金) 小此木啓吾「自己愛人間」

より引用

いま私達が問題にしている「死に方」が、いずれも病気や老いによる受身的な死の問題であるという事実です。
 もしかしたらこうした受身的な死に方がわれわれのもっとも深刻な精神的関心ごとになってきているということ自体が、もっとも現代的なことではないか。かつてモラトリアム人間社会になる以前は、人間の死に方としては能動的で主体的な死に方がむしろ主題だったのではないか。殉教とか切腹とかをもちだすまでもなく、自ら死に場所を求める、といった死を自らのアイデンティティを確証する機会とするような、そうした理念的な意味づけをもった能動的な死を美化したり、理想化する時代があったのではないか。
 いま私達が直面している現代的な死に方は、死ぬことさえもアイデンテxティを全うする有意義な経験に能動化し、自己愛の高まりの機会としてしまうような、能動的な死に方ではないのです。むしろその多くは、裸の自己愛のままの受身的な死に方なのです。
               (現代社会と自己愛人間)

 


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