日々の泡

2001年10月02日(火) 蚕の手ざわり・思い出

朝日新聞日曜版の、記者が好き勝手なところへ旅するというシリーズで
9月23日(古い)はインドの野蚕を取材した女性記者の番だった。
一面の写真は、農民が手にした大きな枝に鈴なりになっている
むくむくと肥満した黄緑色の芋虫(ヤママユのそれに酷似)。
いや、私はいいけどね、そういうの好きだから。しかし苦手な人もいるだろうに…
爽やかな日曜の朝(笑)。
「体重50グラムはある」という幼虫の描写は
「むっちりとした肢体」「ひんやり冷たい」「大福のような感触」
うわあやだ、お仲間だよこの人(笑)。
そう、この手の芋虫はモチ肌でひんやりすべすべしてる。
何の木の葉を食べてるのか書いてないのが惜しい。
スコール降る森の中で黙々と木の葉を食べ尽くしている野生の状態で見たら
さぞかし魔法めいて食べる音もさわさわと聞こえてうっとりできそう。

蚕の類に親しみがあるのは、子供のころ身近な虫だったからかもしれない。
私が小学生のころ住んでいた町は、
多摩地区で養蚕・製糸が盛んだった頃の名残をとどめていた。
地元の製糸工場からはなんとも面妖な匂いが漂っており
3年生になるとその工場を見学して、匂いの正体(無数の繭が釜茹での刑にあっている)
だの、そこから機械でぐんぐん巻き取られていく絹糸だのを見せられる決まりだった。
市内の大学の農学部で分けてもらえる蚕を夏休みに育てて観察するのは
小学生のたしなみだった。
近所の空き地に残っている桑の木にとりついて遊びながら、
毎日のように桑の葉を取る。桑の実が熟すとついでに口を紫色にして食べる。

さわさわと音を立てながら桑の葉を縦に食べてゆき、
大きな糞をぼろぼろ出していく白くて太った蚕は、牛を連想させた。
何回か「ねむり」と脱皮を繰り返して終齢幼虫に育った蚕は
白くすべすべしているだけでなく少し透き通って、
気持ち悪いと思いつつも時々手に載せて、ぺたぺたした脚の感触やら
草食の虫特有の妙な(しかし悪臭ではない)匂いを味わった。

食べるだけ食べて糞をして、
そんなにまでする必要があるのかと思うほど精力的に糸を吐き出して
蚕は白いふわふわした棺の中に自ら閉じこもる。見ていて楽しいのはここまでだ。
繭は時とともにふわふわしなくなって表面がすべすべしてきて、
そのうち穴が開いて、白い小さい、飛べない蛾が生まれてくる。
ときどき穴がうまく開けられず、中でばたばた音がしていることがあって、
これが私にとっては悪夢だった。
意気地なしの私は、繭をうまく切って虫を出してやる勇気がなかったのだ。
繭の中から音がしなくなるまで、疚しい気持ちを抱きながらフトンを頭からかぶって寝た。
簡単なことだと言われても、そういうことを手際よくやる自信が全然出てこない臆病者だった。
自分の指にトゲを刺したとき、カミソリで切開して取り出すのは得意だったのに。
大人になった今だったら、多分ちゃんとできるのに。
でも子供時代って、「どーしてそういうことだけが苦手なの!」っていうのがありませんでしたか。なんかすごく、自信がなくて。

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中秋の名月はきのう(雨)だったけど、きょうは満月。明るい明るい。


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蟻塔

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