卒論で忙しいのに、ちえこはわざわざ実家に来てくれた。 夜はテレビのない殺風景な部屋で、女の子同士のぐでぐで話をした。
「東京タワーの見える部屋に住みたいなあ、そのためには稼ぎのいい男を探さなきゃ」と言う。「新宿駅で、可哀想なかっこして待ってたら誰か来ないかな」と言う。
私は、「将来マツケンサンバ(仮称:前の彼、というにはもう遠すぎるので)が浮浪者になって、新宿の段ボールのお家に入ることになったらおにぎりを届に行くんだ。だから、そのついでにちえこにも、おにぎりあげるね」と言う。
「れいちゃんそれちがうよ、男に拾ってもらうのにそこに住んじゃだめじゃん」と彼女は言う。
他人の見えている世界と自分の見えている世界のズレが私はいつも気になって、誰と居てもこの人は今楽しいかな、私といて何か得ているかな、と考える。自分がとっても楽しいな、と思うときに相手が面倒だな、重いな、と思っていることが、今までの人生で何度か発覚してしまったりもした。(あーあ)
ちえこと居るときは、そういうことがない。なぜだろう。ずれている気がしないしずれていてもいいのだと思う。こういうことを思える相手がいるのだから多分、私は、ひとりじゃないんだろう。
浦和の女子校にいた三年間は、ほとんど勉強することもなしに、ミニスカートにルーズソックスで、『cutie』ばっかり読んでいた。だから、(というのはつまり勉強しなかったから)受験では何度も泣いたし日記に「死にたい、消えたい」と思春期じみたことを書いたりもした。
だけど不思議だ。あの時いっしょに教室の隅で、「数学5点だった!」と騒いでいた友人に、私は今でもこうして救われている。あの若くて青い苦しみの、1億倍くらい、色んなものをもらっている。
「れいちゃんこれで男を釣ってね。オネエ仕様だから」そう言って彼女は星がたくさん付いたブレスレットをくれた。お金がないね、っていう話を、小一時間した後だった。ひとりの部屋で、少し泣いた。
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