| 2004年11月13日(土) |
退屈ならそれもまたグー |
終電以外で帰れる日々が嬉しくて、ビデオを借りて帰ることにした。
金曜日の0時から見たのは、塚本晋也の『六月の蛇』。泣きたくない種類の作品だったが、どうしようもないくらい涙が出た。どこまでもどこまでもどうしても、人と人と繋がりあえないということへの、悲しみの感情がどくどくと湧き出てきた。
こんなものは、もう消えてくれたと思っていたんだ。
泣きながら、ああ私はイタイ人だ、と思った。感情を消えたことにしてどこかに閉じこめ、知らないふりをしていた自分に感心した。誰かとどうしても分かり合いたくて、笑いながらご飯を食べたくて、抱きしめ合いたいのに、そういう欲求を閉じた部屋で『六月の蛇』を見ながら涙を流すことでしか解消できない私は、なんて勇気のない人間になってしまったことだろうと思った。…といいつつ、これを見て泣くような人のグループに、自分はどうしても入りたくないといつも考える。私は、ほげほげと石でもコレクションして暮らしたいよ。
(ちなみに映画自体は、最後にきちんと光を提示して終わる。人と人は繋がり合えるよ、と。その通りだ、いい解答だと思う。うまく言葉にできないが、こういう作品が映画祭で賞を取ることを、私は嬉しく思う。普段感じている、のるかそるかの感情―恥ずかしいからなるべく隠している―が正当化されるような気がして。)
土曜日に友人に連れられて見たドキュメンタリー映画、フレデリック・ワイズマンの『霊長類』でも感じたことだが、(映画を含む)芸術作品というのは優れているものほど、毎日の暮らしの底の底に潜んでいるなんやかんやを掘り起こして目の前にさらしてくる。だから、なかなか疲弊する。
アテネフランセからの帰りに友人が、「今日はカツカレーにしよう」と言ってすたすた歩くので着いていったら「キッチン南海」に着いた。神保町の南海は早稲田のそれとだいぶ趣が違った。本格的なのだ。
コック帽をかぶり、白衣を着たイケメン男が横並びに4人立って、カツを揚げたりキャベツを盛りつけたりしている。愛想がいいのか悪いのか分からない、微妙な客との距離がある。妙に荘厳な雰囲気が店全体を覆っている。全員顔が濃かったので、かなり萌えだったが、特に一番顔が濃い、りっぱな鼻のひげ男さんが私のお気に入りだった。
カツカレー(650円)は本当においしかった。「カツ大きいね。お得だよね」と言いながら地下鉄に乗って帰る。『ドクター・コトー』があるから少し急ぐ。CDを借りる。
おいしいカツカレーを食べることと、「人と人が繋がり合えるか」を考え抜くことと、いったいどちらが大切かなんて私には分からない。ただ、私は『六月の蛇』のヒロインみたいに、泣きながらバイブレータを操作しなくても平気みたいなのでよかった。
※リンクとプロフィールやっと直しました。
|