| 2004年11月09日(火) |
睡眠欲の強いあけぼのっち |
カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したガス・ヴァン・サントが『エレファント』の前に撮ったという『Gerry』を見た。……見に行ったのだが、なぜか、寝てしまった。だってずっと砂漠の風景なんだもん。
一緒に行った友人に、「雲の映像がエレファントと同じで云々……」と感想を話そうとしたら、「ていうかほとんど寝てたじゃん」と返された。ばれてたか。
私をなぐさめに彼がくれた感想をアップします。
『Gerry』について
なんか俺が怒っていると思われてそうなので、そうではないと言っておきます。
映画を見に行って寝ることなど普通のことなのです。もちろん俺にとっても。「ゴダールはね」としたり顔で語りながらも、実際の上映中は寝ることが大半だと言ってよいでしょう。こうして考えると寝るのと寝ないのとの比率は半々だと思います。
だいたいあの映画を喜び勇んで来るような観客は、絶対どこかおかしいはずなので狂っているか、薬を打っているかのどちらかなのでしょう。
映像も音楽も「寝ろ」と言わんばかりのものだったしね。まぁ、気になったらまたビデオで見ればいいんじゃないでしょうか。
というわけで、自分なりにあの映画のどこに惹かれたかを書きます。
形式的には実験的と言ってよく、また過去のフィルム(フィリップ・ガレルの『内なる傷痕』など)に似ているところのある作品ですが、私は「〜的」といったカテゴリーを越えた作品であり、これに似たどの作品よりも『Gerry』が好きです。
露わになる人間という存在の希薄さ。物語が進むにつれ、ストーリーも地理的にも人間の存在そのものもどんどん輪郭が曖昧になってゆく。それは私個人の「印象」ではなく、もやがかかったような映像や足を引きずるノイズや無方向的な空間把握によって確かに画面に刻まれていました。そうしてこの輪郭の曖昧さ(虚無ではなく)が永遠に続くのではないかと思わせる展開。それを断ち切る事件。だがそれすらもあくまで曖昧なものでしかない(「俺はおまえが嫌いだ」「嘘だろ」笑いが続く)。
こんなふうに我々の「生」とはどこまでも曖昧なものでしかないのだ、とこの映画は告げているのではないでしょうか。ではそれが不快と言われれば、少なくとも私にとってはそんなことはなく、この映像をいつまでも見続けていたいと思ったのでした。
画面に露呈される「弱さ」。気がつくと自分はいつもこういうものに惹かれているのだなと思います。「弱さゆえの〜」といった反語ではなく、それそのもののどうしようもなさには引きつけられて止まないのです。
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