言葉が何より大切だと思っている私だけれど、深夜の月明かりに浮かび上がる市ヶ谷のお堀の水面には、ただ黙って立ちつくす。毎日終電で帰る。
前の彼に会った。高田馬場のつぼ八で、ちびちび飲んだ。鼻があんまり美しいのでずっと見ていた。私は鼻が美しい人が好きだ。
話の途中で急に上目遣いで、「緒川たまきさん?緒川たまき?緒川たまき?」と繰り返してくる。髪を切ったねということが言いたかったらしい。「やっぱり変?」と聞くと、絶対に、「かわいいよ」とは言わずに「変じゃないよ、変じゃないよ」を連発する。むかついたのでしくしく泣いた。
「髪の毛が長いとゴスって言われるから切ったのに」 「髪切ったってゴスはゴスだよ」
彼には心がないので、私が泣いても笑っても、怒っても、何を話してもどうでもいいみたいだ。私はそれがとても気持ちがいい。くすぐった時だけ本気で笑う。面白がってずっとくすぐっていたらずっと笑ってくれた。私は彼が笑ってくれるのが好きだ。
法事で東京に来たおじいちゃんと会ったこと。 妹さんに2年ぶりに会ったらすっかり性格が明るくなっていて驚いたこと。 村上春樹は『神の子〜』までしか読んでいないこと(文庫が出るまで買わないから)。 『神の子〜』はかえるの話が良かったこと。 春樹の中では『1976年のピンボール』が一番好きなこと。 それから『ねじまき鳥クロニクル』もいいなと思うこと。 家にずっと帰れないこと。 『華氏911』の虚無。 マイケル・ムーアが昔RAGE AGAINIST THE MACHINEのPVを作っていたこと。 社会における「ガス抜き」について。 好きな人が殺されたら殺しに行くということ。
色々話すのを聞いていた。
ピンボールが好きな理由は、”結局どこにもたどり着けない感じ”が一番出ているからだという。ねじまき鳥がいいのは、結局どこにもたどり着けなくても「世界」と対峙していくのだという意志が見られるからだと。
「今私バンプのアルバムを聴いててね、そこに『汚れたって受け止めろ世界は自分のもんだ』っていう歌詞が出てくるんだけどそれって世界と対峙するってことと違う?」と聞いたら、「違う」と言われた。
彼は心がないけれど優しい。心がないから優しいのかもしれない。
彼の手がなくなったり足がなくなったり、ものすごーくデブになったりハゲになったり(このへんはもう既に進行中)して、もう彼女も誰も振り向かないようになればいいのにな、といつも言っている(こういうのをゴスっていうのか)。「最近背中がぴきぴきって痛くなるのは田中の呪いでしょ」とひどい罪をなすられた。
「俺はぜんぶ分かってて全部知らないふりをしてるんだよー」 路地を曲がる前に彼がぼそっと、きっとその通りなのだろうと私も思った。
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