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2004年08月07日(土) 「見えないし、行けない。けど僕ら、今ここにいる」

森山大道の名前を知ってから、まだ1年も経っていない。昨年の秋に知り合った人に「いいよ」と教えてもらって、川崎の美術館に右も左も分からないまま写真展を見に行った。東横線の武蔵小杉駅から、住宅街を抜けるバスに乗って15分ほど。へんぴな場所だった。その日は土曜日で、良く晴れた秋の日で、となりの公園ではバザーが開かれていた。家族連れがたくさんいた。

たった500円で見られたことが奇跡のようだったその展覧会のパンフレットを、私は今でも大切にとってある。A41枚のぺらっとした紙だがとてもよくまとまっていて、初心者が読んでも「モリヤマダイドウ」とは誰なのかが分るように書かれている。展示も、彼のあゆみを「物語」としてうまくつなげていて、興味がわいた。

にっぽん劇場写真帖
(写真雑誌で頭角を現した時代)

プロヴォークの時代
(「アレ、ブレ、ボケ」など、アバンギャルドな写真の先駆者だった時代)

何かへの旅
(路上をさまよって写真を撮り続けた時代)

WORKSHOPの写真学校CAMPの時代
(試行錯誤し、既存のものを打ち壊そうともがいていた時代)

光と影
(悩んでた時)

Daido Hysteric
(突き抜けた後)

Daido Moriyama Shinjyuku「新宿」
(今)

()内は私の勝手な解釈だが、だいたいこんな感じで作品が並んでいたと記憶する。一番好きだと思ったのは、「光と影」のコーナーにあったシャクヤクの写真。精神安定剤を飲むなど悩み続けた後の、一筋の光が見えた瞬間を切り取っているように私には思えた。モノクロの深い黒と、光の白の対比、グロテスクに美しく開いた花びら。全てを抱え込んだ上で、進むことを決めた強い意志。その衝撃の前に、しばらく立ちつくして時間をかけて眺めた。

小さなミュージアムショップで、彼のエッセイ『犬の記憶』を買って帰った。帰り道の電車で夢中で読み、飽き足らずに渋谷の喫茶店に入って続きを読破した覚えがある。驚くほど文章のうまい人だった。読書家だからだろうか。



突然こんなことを思い出したのは、新創刊雑誌『Coyote』(スイッチパブリッシング)を書店でたまたま見つけたからである。この1週間は体力的に疲れ果てていて、何のインプットもする気にならず、人と話す気分でもなかった。それが、たまたま家に帰れた日にぷらっと寄ったあゆみブックスで見つけたのだった。前のSWITCHの編集長が作っているらしい。もしかしたらもうだいぶ前に発売されていたのを、私が気が付かなかっただけかもしれない。ひさしぶりに、隅から隅まで活字を追った。特集のテキストは大竹昭子さんが書いていた。

もちろん森山大道は、私(のような写真を享受する側の読者)とはまったく別次元のどこかに生きている。しかし、雑誌のインタビューや対談や、あるいは展覧会やエッセイや、そして何よりも彼の写真を通して、私はひとりの写真家の過去を、現在を、追うことができる。そして勝手にこうして、ここで感想を述べ、友達に電話で、「森山大道と私は似たタイプの人間だと思うの」なんて勝手気ままで恐れ多いことを言える。不思議だなあと思う。



いつも初心を忘れないよう、会社のデスクに町田康の写真を貼った。体が疲れている時も、自分が今何をしなければいけないのかを、いつも考えていようと思う。初めて、誤植を出した。とてもショックだ。誤植が一番つらい。就職活動で、作文を見てくれていた先生に、手紙をださなければとずっと思っている。その先生は、いつも私の作文を褒めてくれて、授業で使う見本にしてくれ、「こういうのは5年に1回出るかで出ないかだから、君は大手に行ける、がんばれ」と言い続けてくれた。あのひとことのためにつづけられた、そういう瞬間が何度もあったと思う。いまだに。最近、会社で自由に意見を出せる企画会議があり、本当に楽しかった。いつか、自分のやりたいことや書きたいことが見つかって、それが形になる日があればいいと思う。



『IN RED』の巻頭特集を立ち読みしたら、ニットとワイドパンツにオールスターをはいたりょうさんが本当に素敵で、久しぶりに洋服が買いたくなった。マルジェラだった。



友達と吉祥寺のくぐつ草というカレー屋さんに行く。お店の雰囲気も、ごはんもとても良かった。最近行ったこじゃれたカフェより、ずっとよかった。ナカカズの『金字塔』を聞いた。表題はその歌詞。こうして回復し、また、書いていけたらと思う。また、楽しく話せたらと思う。


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