先日、中学校の友達に会った。私が1番をとっていたとき、2番だった女の子だ。交換留学で一年遅れたため、現在大学四年生。ちょうど就職活動を終えたところだという。大手企業からいくつも内定をもらっているという彼女の話を聞きながら、いつの間に我々はこれほど明暗を分けたのだろうねと、私は笑って言った。
昨日見つけた封筒の中には、高校の成績表も入っていた。413人中178番、学校内偏差値51.4。頑張ることをやめた私は、非常に凡庸な女子高生になった。部活も調理部と、テニスを少しかじったくらい。3年間にしたことといえば、ただ雑誌に載りたいと原宿に通ったことくらいである。
それからはずっと、自分のことを社会不適合者だ、と悩み続けた。人並みかそれ以上にできていた自分は、いったいどうしたのだろう。人を好きになれば振られるし、喫茶店で働けばコーヒーをこぼす。何もうまくいかない。こんな人じゃなかったのにな。ひとり部屋で眠りながら昔の凛とした自分を思う。ひたすら恥ずかしさと悔しさをかみしめた。
うまく落とそうとすればそれなりの文章、物語を作れないこともないのだが、ここ(優等生から真っさかさまに落ちてしまったところ)で書くのをやめようと思う。可愛くもなくブスでもなく、明るくもなく暗くもない、「個性的」だねと言われる趣味を持つけれどもおたくにはなれない私は、なぜなら今も生きているからである。
誰にも注目されず、一人でご飯を食べて映画を見る生活は、あなたが思うほど悪くはない。1番でありたいという重圧につぶされそうになりながら、それでも取り憑かれたように一つの事実を求めた当時にも、きっともっとくだらない細部の楽しみはたくさんあったのだろう。
過去を書くのは楽だ、と昨日のタイトルに掲げた。何故かといえばそれが勝手に物語に出来るから、「暗黒の中学時代」とくくると、今とのコントラストがよく見えてくるいい日記になるからである。しかし今生きていることは今生きている実感にしか分からないのであって、振られたその日にもご飯はおいしかったかもしれない。細かいことを覚えている意味があるのか、書き残すことによる結果は何も残らないかもしれないが、私はできるならそういった文章をつづりたい。
中野孝次『ブリューゲルへの旅』(文春文庫)はいいよ。ふと手に取った本が当たるとうれしいね。
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