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2004年05月03日(月) 「人生に救いはねえよ、でも有効」

 通常であれば、救済をもたらすものとそれによって打ちのめされる虚無・暗黒は図式的に対置され、前者は何の疑いもなく善であり光であり、後者は一顧だにされぬ悪であり闇であって、光は常に力に溢れ、ときに危機一髪的状況に陥りながらも、なんの根拠もない無自覚で無神経な信念もしくは信仰に基づいて悪を懲らすが、日々現実に触れて疲弊しきっている我々はそんなものを見ても、うっそだろーと白けるばかりで、眉ひとつ動かさぬが本書にあっては、絶えず光は苦しみ、揺らぎ、僕は絶対的な光ちゃんです。などとはけっしていわず、苦闘の果てに両者は、時間の流れと空間の広がりの仲立ちによって和解するのであって、いのちの流れが物事に融けていく現場を見事に言葉に表した筆者に私は拍手を送りたい。

 人間が生きていくということは、実はとても苦しく惨めなことで、しかしながら、ときにこのような奇跡が日常的に起こるから我々は生きていけるのであって、日々、我々はそのことになかなか気がつかないし、気がついたからといってけっして楽になるということはないのだけれども、でも、みんなはこの小説を読んだらいいと思う。僕はこれからうどんを食べようと思います。有効。技もある。

(町田康『つるつるの壷』)



名文を読むと、ふるえが来る。



町田康『つるつるの壷』というエッセイ集にあった、吉本ばなな『ハネムーン』の解説文。



町田康は、たまーーーーーーーーーーに、こういうことを書くから好きだ。おそらく、たまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーにこういうことを考えるのではないだろうか。たぶんそれ以外は、うどんの種類を悩んでいると思う。

しかし、彼が芥川賞を取ったのはきっと、「こういうこと」が常に彼の作品の底の底に流れていることが、偉い作家さんには見えるからなのだろう。私がこのひとを好きなのも、同じ理由なのだと気付く。

町田康が、CDが売れなかった、と言っても別段誰も心配しない。町田康が、女性と別れたと言ったところで、きっと噂をする人はいないと思う(私はすぐ結婚するけど)。たとえば柳美里やトム・ヨークや、尾崎豊やあるいは、敢えて言うなら松尾スズキのそれに比べて、なんと彼の人生は気楽そうに、どうでもよさそうに、おふざけにみえることであろうか。そしてさらに怖いのは、彼はそれを大まじめに行っているだろうということ。彼は真剣に、うどんを食べている。



舞城王太郎は、『ファウスト』あたりでエッセイを書かないのだろうか。ぶっこわれてる、個性的、技巧的といわれる町田康が、実はこんなにまっすぐで力強く、うねりのある文章を書けるという実力がはっきり示されたように、いつもはぐらかされたように感じる舞城氏のたまーーーーーーーーーーーーにな部分を見てみたいと思ってしまうのは欲張りというものであろうか。


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