| 2004年04月19日(月) |
喪失感とは悲しい気持ちのことではない。 |
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蒸し暑くてガラス戸を開けると、柔らかい春雨の音が聞こえた。午前1時、ラジオ深夜便を聞きながらごはん。小松菜と豆腐の味噌汁を作り、週末に作ったおからを温める。
今日の、「私と母」はピーターフランクルさんだった。彼のお母様はアウシュビッツをすぐ隣で体験した人なのだという。
「母は自分を無条件に愛してくれた、そのことがどれだけ私の心の支えになったことでしょうか」。数学が出来るから、大道芸がうまいから、そんな付加価値抜きで味方でいてくれる存在というのが、あらゆる困難や孤独から人を助ける。母国ハンガリーを捨て、フランスに亡命して以来諸国を点々としてきたフランクルさんの言葉には、(決して暗くはない)重みがあった。
そうだよなあ。さっき電話で文句を言ってしまった母に、心の中で謝った、口をとがらせながら。
昨年の末に、教員採用試験を受けたという友達と飲んだ日のことが、ふと頭に浮かぶ。「面接でね、すごい難しい質問が出たんだよ」彼女は言う。「あなたのクラスに運動も出来ない、勉強も出来ない、可愛くもない、絵も、字も下手、性格も陰気、趣味も悪い、そういう、ひとつとして取り柄のない子がいました。さて、あなたはどうしますか?って」。
「それでも、どんなあなたでもあなたが好きよ、って言ってあげたいな、私は」。
迷いなく、答えはすぐに浮かんだ。正解だと思う。
現場の先生が聞いたら、綺麗事だと笑うかな。そういう愛され方や愛し方以外、私は出来ないし他の術を教えてもらったことがない。
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町田康『きれぎれ』が文庫になったので読んでいる。彼の、たまに書く幸せな午後の空気や朝の光の美しさにはっとさせられる。あ、これ書きたいから他の冗談をすべて並べてるんじゃないの?と思うほど。夜に雨音を聞くこの気持ちを、私も小説にできたらいいのに。
ああ町田先生、あなたは刹那のパンクロッカーだけれど、どうか、さぎさわめぐむやおざきゆたかやさとうくんのようにしなないで、私を愛人にするまでは。
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会社を辞めて版元に転職をする先輩が、退職に当たって書いていた文章が、本当によかった。仕事中に、モニタに向かってこっそり泣いた。
「転職活動でどこへ面接にいっても、関係者のだれに話をきいても、ちょっと眉間にしわをよせ、口をゆがめながら『大変だよ。寝られないよ。それでいいの?』と、言われたことを思い出します。本や雑誌が好きで、作りたいという人に対して、なんでこの業界の人たちはそんなことを言うのか。その、わけ知り顔はなんなんだと、心底腹をたてました」。
証券会社から未経験で転職したのに、あれよあれよと出世した要領のいい人だった。仕事が速く、ぽんぽん笑顔で話す。アルバイトの私に接するビジネスライクに親切な距離感が、とても好きだった。
しかし、最後に彼女が書いていたのは、「編集が好きだ」「徹夜しても好きだ」、それだけのあまりに愚直な感想だった。そして、「編集が好きだ」「徹夜しても好きだ」、それ以外に必要なものなんて、もしかしたらないのかなあという予感が、1/4(1/10?)人前の私にもすごくしている。だから、頑張ろうと思う。勝手に天職だと、そんな催眠術にでもかかってやろうかと思う。
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