| 2003年11月30日(日) |
「どんな事が起こるんだろう?」想像してみよう |
追記
テレビをつけたら岡田くんが、女の子(まあ深津エリなんだけどね、まあ私にとっては私にしか見えないんだけどね)を抱きしめていたよ。はああ。
あのね、強がるのやめたよ。岡田くんも光一くんも、ケミストリーの堂珍くんも好きです。顔が綺麗なのって才能だわ。ちえこが、「最近昔の(ジャニーズ)ジュニアのビデオばかり見てる」と言っていた意味がわかります。
昨日は少しだけ早く帰れたのでカウントダウンティービーと、ジャパンカウントダウンをものすごく久しぶりに見た。やっぱり普通の生活(土日があって、帰ったらテレビがやってて)っていいなあ、とふと思ってしまうこともある。
でも、ようやく正式に「来年からも宜しくね」と部長におっしゃって頂いた。「田中さんは、来年からどこが希望なの?」と聞かれたので「情報誌です」と答えたら、「そうなんだ。君は一人の人にじっくり取材をするような仕事が向いてるのかなあと僕は思う。情報誌もいいけれど、なかなかその人のカラーが誌面に出にくい」。
「それで、松尾さんに取材できたらね」。部長は私の面接を覚えていてくれた。きっかけさえあれば遠い話じゃないよ、忙しそうだからアポを取るのが大変かもしれないけれど、と言う。私は幸せ者だ。頑張らなきゃ。
テレビには最後に1位でミスチルが登場して、番組のセットで歌っていた。恥ずかしいけれどぐっときてしまった。最近ボブディランとビートルズしか聞いていなかった私である。
キスしながら唾を吐いて 舐めるつもりが噛みついて 着せるつもりが引き裂いて また愛求める
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができればさ もちろん投げやりじゃなくて (『掌』)
こういう書き方じゃ格好悪いポエマーみたいで(まあ、実際そうなんだ)誰にも伝わらないかもしれないが、すごく良かった。何もかもを受け入れてそれでも進んでいる感じがした。CDを買うことにした。夕方、電話をくれた人に「ミスチルがさあ」と青春を語ってしまった。恥ずかしい。以下、近況。
■おすすめホームページ(無断リンクです)
圧縮パン(GO!)とrock is noise(GO!)の写真がとても好きだ。何度も何度も見てしまう。ぽつんとした、寂しそうではないけれどもある一定以上近づけない孤独。
■日(今日)
本当に久しぶりにこたつでだらだら。母は隣で昼寝をしている。ウェブ日記の巡回をして、溜まっていた分を読む。町田康のトークショーの前売りに問い合わせたらもう売り切れて、当日券のみだそう。ああ、どうしようかな、ミラクルヤングのライブも気になるけれど、ひとりじゃなあ。「ひとりじゃなあ」と、さすがの私も思うことがあることくらい知っておきな。
個人ページを見ていると、必ず「かぶりネタ」が出てくるので面白い。今週はNO.E。
■金 流行通信はコレクション特集だった。APCのインタビューがとても気になったのですぐに友達に電話をした。
「僕には物語を作ってコレクションを作る必要がなくなった。よく、コレクションが終わって、取材されるデザイナーが、「このコレクションのテーマはこうで、イメージする女性はモダンな人で…」って説明や解説をするよね。僕はもう、そういう次元ではないんだ。
僕はコレクションを製作して、そしてスタイリングを設定する。着る女性が哲学を勉強している学生なのか、パン屋のお姉さんなのか、それは僕の問題ではない。似合って、綺麗であれば、それでいいと思う。ルックブックでその女性がストーリーを語るかどうか、それが目的ではない。
ディオールの広告を見てごらん。このイメージの女性の物語を想像しよう。きっと彼女はロシア人のコールガールで、ひとりでホテルにいるというシチュエーションだよね。その世界に君は当てはまらないに決まっているし、消費者はその物語に入り込まないでしょう?」
(ジャン・トゥイトゥのインタビューより)
これを読んで私が思ったことは、この人はよく、デザイナーをしているなあという感想だ。物語と無関係に、ただ、例えば着心地のいいものを、トレンドに則したものもの(?)を作り出すなんて、労働者的というか、職人的だなあと。それは悪いことではないけれど、洋服にある程度失望した後に出てくる楽しみな気がしたから。
友達は、「でも、デザイナーが作り出す物語がなくたってさ、それぞれ着た人の物語が服に反映されていくわけでしょ?」ということを言った。
あとから上のジャン氏の文章を読み返したら、この人は服によって作り出される物語を消費者に託しているのかもしれない、と気付く。やはりそう考えると、改めて、とてもすごいデザイナーなのかもしれないと思った。
どうでもいいことだが一応書いておくと、私はやはり、洋服が好きだという結論に今再び達している。服が私を選ばなくても、私は服を愛して集めてしまう。都築響一がいうところの"HAPPY VICTIM"なのだ。でも好きなんだ。でも好きなんだ。きっと小倉優子のファンと同じ。最後にゴシップ。小倉優子は、私の高校時代の友達の元SFだか元彼?だか(=王子さまみたいな子!)と付き合ってるんだって!
■水
友達がロッキング・○ンに受かりそう。今度こそ本当に。どうしよう、どうしよう、また会えない人になってしまうのか。そう思ったらなんだか悔しくもなり、嫌だとさえ思い、そういう汚い気持ちのままその人にあった。
本人はとても冷静だった。「今までの就職活動がうまくいかなかったのはどうしてだと思いますか?」と山崎洋一郎に尋ねられて、「宝くじに外れたようなものだと思います」と答えたらしい。本当に格好いい。そうやって生きたい。汚い気持ちだった自分が、恥ずかしくなった。
「僕はずっと、長い間貯めてきた知識があって、それが人よりすごいんだくらいにいい気になってたんだよ。でも知識というのは、ーーそれがたとえ体系的なものであってもーー「点」でしかないんだよね。今回の筆記を受けてよく分かりました。だからさ、山崎さんみたいな人でもビジョンだとかこれからの〜とか言わなきゃいけなくなるほどきっと現状は厳しいんだ。
知識だけじゃなくて、それを本にするにはきっと「技術」が必要なんだと思う。僕は受かったら、そういう気持ちで仕事しようと思う」。
技術を身につけるという意味で、君はいいところに就職したよ、と彼はいってくれた。
私が凄いと思った人は、本当に凄い人だ。そういう才能に嫉妬するのではなくて、私は私がやるべきことを、ロッキング・○ンでもなく、新潮社でなくても続けていこうと思った。そうしたらいつか凄い人たちと仕事できる日が来るかもしれない。誰かをサポートするという形でも。
夜、中学の友達のあいちゃんに久しぶりに会い、大宮で焼き肉を食べた。彼女は陸上部時代の同級生で、持久走大会を一緒に、(文字通り並んで走る、という契約で)ゴールした人だ。
成人式の前に、彼女が自律神経失調症でひどく痩せたということは聞いていた。この人はいつでも、大変な時でも、人に距離がある。
バカ騒ぎではなくて、きちんと話したのは実は初めてだったのかもしれない。私が中学時代からずっと感じてきた「距離」は、それほど見当違いだったわけでもなかったらしい。あいちゃんは、恐ろしいほどの現実主義者で、恋愛については特に、ニヒリストだった。でも少しも暗くなくて、あっけらかんとしているのがとても興味をそそられた。
何かがないと立っていられないような弱いところ、痛いところの見える人よりも、一人でも平気なんだろーなー、と思わせる静かな強さをたたえている人が私は好きである。わざわざ悲しいものをみようと思わない。
彼女の友達がやっているという大宮のCafe Lump(→GO!)は居心地が良くておすすめです。Linkには、私が高校生の時に付き合っていた(といえるのか!?)人のページがあるらしいのですが…。こっそりのぞいてみて、「どうなってるんだろう今」などとと感慨に浸ってみたりもした。ぬー。
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