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2003年07月28日(月)

(無題)

7月25日の日記を読んでいて、
なんかちょっと嬉しくなったのでメールしてみました。

なんだろうな、長い冬が終わって、
分厚い雲の隙間から、春の陽の光が少しだけ射して来た時のような、
そんな気分。

田中(松尾)が少しずつではあるのかもしれないけれど、
ちょっとずつ光のある方へ歩き出したことを、
心から嬉しく思うよ。

ある人は言うかもしれない。
歩き出したからなんだって言うんだ。
その先にはまた闇があるかもしれない。
光が見えたからってなんだって言うんだ。
行ってみればその光の前にはどうやっても破れない、
とてもとても分厚いガラスの壁があるかもしれない。
そんな意味の事を。

でも、俺は、ファックユーと、そんな奴には中指を突き立ててやります。

田中(松尾)の言う通り、人生なんてたかが知れてる。
それはとても小さな箱庭なのかもしれないけれど、
その小さな小さな世界の中で、目一杯駆けずりまわっていたいと、
俺はいつもそう思っています。
目に写るすべてが新鮮であるような、子犬みたいにね。

俺の周りには、そうやってたかが知れてる人生の中で、
目一杯はしゃいで、駆けずり回っている人がたくさんいて、
そんな彼らはとてもとても楽しそうに見える。

だから俺もそうでありたいと、そう思っています。

確かな未来にもつながっていないけれど、
大袈裟な絶望とも無縁な場所に僕らは立っている。

そういうもんなんだと。

そんなまっさらな草原で、どこに行こうが何をしようが、
すべては自由なのだから。

きっとどこかには限界があり、
完全な自由などありえなくて、
そこかしこに束縛があったとしても、
ある限られた範囲の中では、すべては自由なのだと。

箱庭の中で、鎖につながれて、
僕らはちっぽけなチワワみたいな存在なのかもしれないけれど、
鎖が伸びる限りは、どこまでも走れるし、
いくらだって泣けるし、いくらだって笑える。

俺が思うのはたったそれだけのことで、
それは人生でも恋愛でも仕事でもぜんぶ同じ考えです。

でもこれはあくまで俺の指標であって、
他の誰にも押し付けようとは思わないし、勧めようとも思わない。
もし田中(松尾)が追いかけようと思っていても(思わないだろうけど)、
それが田中(松尾)には向いているか分からないから、
俺はとくべつ田中(松尾)にこうしなよとはあえて言わなかった(言ったかもしれないけど)んだよね。

必要なのは宝の地図ではなくて、
どこかに宝があるのかもしれないという希望なんだよね。
希望というか、イマジネーション。

なんだかややこしくなってきたけれど、
とにかく、田中(松尾)がなんだか動き始めたことが素直に嬉しかったんだと、
そういうことです。

今までは元気出ました、とか、
前向きなことを書かれても俺は半信半疑だったからね(笑)。
無理してんじゃねえのか?って。

でもなんだか今回はそんな感じもなくて、
わりと自然な推力だなって思えたから。

まぁ、なんだか田中(松尾)にあててというより、
自分にあてて書いた自己確認みたいなメールになっちゃいましたが。
適当に読み流してくれ。

じゃあまたゆっくりと。

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(題名)金曜日の日記読みました。
本当によかったです。

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一週間が終わって、終電でうちに着いたらメールが二通届いていた。大学時代の大好きな先輩からと、文通(メール通?)相手の編集者の方からだった。ここ数カ月、私は「頑張る」と「バカにするな」しか言っていなくて、実際に自分の心の中を、そういう気持ちだけが占めていた。本当は「疲れたよー」と愚痴が言いたいけれど我慢しているとかではなく、たった一人で戦い、バカにされずに人と対等に渡り合うのだとそれだけを考えて毎日が過ぎた。

私が何ものかにならなければ、私は誰かと繋がることは出来ない。いつもそうした強迫観念と共に生きている。しかし、どこまでそうしてひとりぼっちになりきったつもりでも、ひとりではなかったという幸せがここにある。

こういう気持ちが悪い(失礼)メールの文章を、笑う人がいるかしら。私は涙を流してしまう。それは私が気持ちの悪い人間だからだ。まっすぐに誰かを愛するというのは、なんて気持ちが悪くて嘲笑を誘う行為だろうか。



メモ
十日ほど本屋を覗いていなかっただけで、だいぶ棚が変化していて驚いた。直木賞と芥川賞発表後ということもあるのかもしれない。毎日通う常連になると、棚の見え方が変わるから書店は楽しい。「ああ、ここはあれがまだ欠品してるよまったく」などと愚痴りつつ結局3、4軒回ってしまう。デザイン本が充実している若者向け書店には、たいてい内田百聞や新書が足りない。町田康と石田衣良は平積みされているのに。かっこよきゃあいいのかい、若者よ。というか若者ってそんなに単純かい、青ブックさんよ。

ところで流行通信の次号(28日発売)は本特集らしい。「本が来てる!」。ハックネットに行くことが、マルタンマルジェラを着ることと同じように通過儀礼となるのならば”6年連続右肩下がり”(面接で言われ続けて覚えたよ、やれやれ)の業界にも風穴が空くのではないか。面白いことだ。

過日は終電に乗り遅れ、行くところがなくて同棲カッポウのうちに転がり込んだ。誰かと一緒に住む、生活するというのはどういうことなんだろう、素敵だなあ。きれいに片付いた床と二本のハブラシを見て、アメリ系ひとちぼっちの乙女は思ったのです。と、気付いたら朝私一人だけがベッドに寝ていたよ、すみません。

どうせ分かんねえよ、と思って避けてきたものを受け入れてみたら凄く良かったということが続いている。スーパーファーリーアニマルズの『ファントムパワー』は傑作。ビートルズのホワイトアルバムが心にしみる。私はロッキングオンジャパンレベルの人間、という劣等感がいつもつきまとって(そういうのってない?洋楽雑誌のほうが偉い、NMEはもっと偉い!というような)いたけれど、もう面倒臭いから取り払おう。ロッキンオンとスヌーザーを理解しないままだけれど相変わらず読んでいる。ただのえらそうな雑誌だと思っていたのが、優れた情報誌機能も持ち合わせていることに気付いて、本当に見直している。

最近はCD屋の棚に慣れ親しむことが目標。書店とタワレコに、自分の部屋のように通うというこれまたアメリ的ハッピネス。


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