(WO)「とびきりいかしたジュークボックス」に捧げる言葉 - 2003年10月31日(金) 30日分の日記。 後半でWOの幕張レポについて。 +++ 今日も夜遅かったなり。 まさか、残業を1時間で捨てて帰って心斎橋にいたとは言えない…笑 仕事で煮詰まりまくったので、今日もウィルコさん見てきました。 SHE DOES IT RIGHTかっこいー( ̄∇ ̄) でも、あまりちゃんと聴いていかなかったので、曲とタイトルが一致しない…。 BACK IN THE NIGHTとか、Red Hot Rocking BluesからThe Western Plainsがあったなとは 覚えてるんだけど。。。 来年のフジロックでまた、とのことでした。 帰ったらソニマガとアマゾンとイープラスから一気に届け物が来ていた; イープラのは持ち帰られてしまった。ふー。 アマゾンのは旧譜買うついでにGRAPEVINEのニューシングル「ぼくらなら」を。 うーん…メインとカップリングの世界が全然違う(笑)。 メインはさらっとしたので騙して、カップリングに毒をまぜるつもりですか。 でも、前の「会いにいく」と続けて聴いても、 嫌いな曲もないかわりに特別好きな曲もないんだなぁ…。 亀ちゃんのキャッチーなメロディ、田中くんのひねくれた歌詞と独特の歌い方、 西川氏のギター、どれも好きなんだけどなあ。なにか微妙に足りない。 最近、雑誌の写真の亀ちゃんが、フランステレコムって書いた Tシャツをよく着てるんだけど、流行り?( ̄ー ̄) □□□ TAKANORHYTHM □□□ ソニマガのは西川ちゃんカレンダー。 特典のカードが、筒の中でしわになってる ⊃Д`) 写真はフツーにカッコイイですねぇ。あまり色気は強くない…かな? もう少しタッパがあればモデルに見えなくもない…。 でも今年も飾らないまま筒の中。だってでかいんだもん…(なら買うなや) WOの「となりの芝生」はネイリスト・黒崎えり子さんがゲスト。 ゲストによって対談の調子ががらっと変わる。今回の内容と喋りは読みやすい。 写真の雰囲気が違うなと思ったら、ヘアメイクがみやみやさんじゃなかった。珍しい。 ■■■ GO LAST HEAVEN ■■■ 帰りが23時前になったのだけど、遠回りしてWOを取り置きしてもらってる 本屋に寄って帰ったのは、幕張レポが読みたかったから( ̄∇ ̄) ネットで見てても、「レポ書いてほしい人」は山崎洋一郎さんと市川哲史さんの 人気が高かったなあ。 やっぱり、メンバーのことをよく知ってる方たちに書いてほしかった。 山崎氏はジャパンで、市川氏はWOで、結果的に希望が叶ったからいいや。 レポは2ページだけ、写真は小さめのがコマ割りになってる。 市川氏も解散理由は知らないらしい。推測はできるみたいだが…。 エレクトリックを聴いてびっくりした。個人的で感傷的すぎる楽曲に。 解散発表後、唯一出たTVがMステというのも華やかすぎて彼ららしくないと。 市川氏の感じたのは、「こんならしくない特別なことをして無理矢理自分を追い込まないと、 己自身を解散に持っていけなかったのではないか」と。 私も、エレクトリックはちょっと感傷的すぎるかなとは思ってた。 最後だからこそ、ミッシェルらしいガツンとくる曲が欲しかったなと…。 でも↑のような理由だったら、ちょっと解るな。 自分たちを「ファミリー」と言い、ミッシェルは「自分そのもの」だと言い切るような メンバーだから…。 自分の一部を簡単に切り離せるはずもないか。 市川氏はこう評する。 「ミッシェルのライヴは放出され続ける斧のような轟音に、 群れ集った群集が自らを解放するという、トランス機能が異常に高い場だった」と。 「まさに超高性能ラウド・ミュージック・マシーン」 「こんなにロックでアナログなジュークボックスは、未だかつて 誰も聴いたことなかったのだ」と。 さらに、詞は「メランコリック&チャイルドライク&パラノイア」な「チバ語」の世界。 <一体ここはどこなのかわからない世界で、一体どこの誰なのかわからない カタカナ名の登場人物たちが闊歩しまくるあの世界> ああ、まさに。 聴く人によっては「頽廃的な快楽主義」やら「世紀末の死生観」までエスカレートしてたような記憶がある、と。 (たぶん、その手の論は私も何度か読んだと思う) とにかく感覚的で、大半の人にとっては「わけわからないもの」。 けれど、とらえどころがない分、自由に受け取れるのかもしれない。 「ムード以上でも以下でもないこの“匂い”こそが、ミッシェルという “ジュークボックス”に相応しかったのである」 歌詞の意味がわからないと聴けないって人には確かにミッシェルはダメだろうな。 ご機嫌な轟音と、不条理で感覚的な歌詞が、彼らの持ち味だったな。 「そうなのだ、この“感覚派の轟音”に我々は魅了され続けたのだ。」 市川氏は語る。 「とにかくロックバンドをやる事以外に能はなくて、自分たちが心酔した 洋楽ロックの香りを音のみならずアイテムやスタイルまで独自にパッケージ化し、 ひたすらそんな生活を謳歌してきた“愛すべき駄目男たち”」 「ツアー中だろうがリハ中だろうがオフだろうが、暇さえあれば練習スタジオに入って、 締切やリリース関係なく新曲をぼこぼこ作ってた“愛すべき駄目男たち”」と。 ああ、こういう書き方、好きだな。 どうしても解散となると、みんな、伝説だとか歴史に残るとか、 彼らの凄い面ばっかり強調してしまいがちじゃない。 だけど、彼らは、つまるところ、ロックンロールに魅せられて、 自らの衝動に従って転がり続けることしかできない、 バカといえばこのうえもなくバカな野郎どもだったんだよなあ…。 ファンはそういうところも愛してたんだよな。 彼らのことをよく知らない人らにはそこんとこがわからないのかもしれない。 音楽史に名を残そうとか、チャートの上を取ろうとか、そんな計算をする前に、 自分たちの大好きな音楽を思いきり作ってライヴをやるのが 何より大事だった人たちなんだと思う…。 結果的に皆に受け入れられて、1万も2万も客が来るバンドになったけども。 チキンゾンビーズの頃に、ブレイクしはじめた感想をチバに求めたら、 「仕事終わりにラーメン屋で、餃子といっしょに頼むビールが 1本から2本に増えるぐらいの幸せ」と言ったそうだ。 チャートのトップ10に入るくらいブレイクしかけていた頃に…。 そういう人たちなのだ。 ミッシェルをデビュー頃から見守ってきた、 彼らの音を愛した人による、 「ミッシェル・ガン・エレファントとは何者だったのか」という文章。 その内容が適切と思うかどうかは別にしても、私はこのレポがとても好きだ。 この文章には、 たとえ無理だとわかっていても、あの4人でいかした音を作り続けてほしかった、という さみしさが見え隠れしていると思うから…。 彼らがいなくなって、 ロックフェスで外国のバンドにまじっても遜色がないような、タフなロックバンドがひとつ減った。 そしてロックンロールに魅せられた、どうしようもない駄目男たちが、 ライヴのあとに、大笑いしながら飲み交わす姿が見れなくなった。 ファンにとっては、前者より後者の方がよりさみしいのだと思うのだ。 市川氏はこうまとめる。 (チバは)今はもう落ち着いて3本目のビールを美味そうに呑んでるのだろうか、 私は未だ、ロンドンや北見のライヴハウスで目撃したとびきりいかしたジュークボックスの姿が、 目に焼きついて離れないのであるが。 あなたたちがいなくてこんなに寂しい。 ...
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