家族進化論
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2017年07月28日(金) 自然のデザイン(再掲)

物語がないとやり続けられない

なのでもちろん、孫氏の

 【百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。

  戦わずして人の兵を屈するは、
  善の善なる者なり】

『アウトプットのスイッチ』

 という本の巻末に紹介されていた、
 生物学者の福岡伸一さんの対談を読み、


 あまりに感銘を受けたため、

 【結果からみると「そう見えるだけ」】

 というタイトルを付けて

 「時々刻々の記」

 に記録を残していたものがあるので、
 以下にご紹介いたします。



■本当に素晴らしい文章なので、
 ぜひ熟読して下さい。


 (ここから)
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 自然のデザインって非常に精妙に
 できているんですよね。

 ぱっと見ると、非常に合理的に設計されている。

 だからついつい、その機能はある目的のために
 最適化されているというふうに見えるわけです。


 あたかもその機能を実現するために、
 あるデザイナーが最適解を求めたというふうな、
 設計的な思想でものを見るようになるわけです。


 確かに生物は、ずっとそう解釈されてきたんだけれど、
 実はそういうふうにはつくられていないのです。

 ある目的のために機能が準備されていたんじゃなくて、
 まずはいろんな機能が手当たり次第、
 ごちゃごちゃ作り出されたんですよね。


 急場しのぎその時々で機能を組み合わせて使ってみて、
 たまたま便利だったものが生き残って、現在に至った。

 その時間がとてつもなく長いために、
 試行錯誤の期間に失われてしまったものが
 あまりにも多いのです。


 結果だけ見ると、非常に合理的に、合目的的に
 デザインされていたように見えますが、
 それは今の時点から過去を振り返って、点と点を
 つないでいるからそう見えるだけです。


 生物とは決して、ある目的のために機能が
 最適化されて進化してきたわけではありません。

 だから、自然界のデザインは設計されたものじゃなくて、
 発生してきたものだというふうに捉えないと
 その特性を見失ってしまうんです。


 だけどついつい「最初から設計されているものだ」
 というふうに、鳥瞰的な視点から捉えたいという
 人間の思いがあるわけです。

 それは仕方がないことなのですが、
 その視点に固執しすぎると、つまらないことになります。


 生命が持っているある種の動的なものとか、
 柔らかさとか、可変性とか、

 非常に危ういバランスの上に立っているものだ
 といった捉え方が見失われて、

 機械やプログラムの設計みたいに
 「最適、効率化、合理性」みたいなもので
 デザインを考えすぎてしまいます。

 それは、真実を見ない見方になって
 しまうんじゃないかと思うんですよね。


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 (ここまで)


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