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2003年11月23日(日) 静かなる妨害



新嘗祭の日に。

 先に紹介した 京都市国際交流会館での「教科書みくらべ展」は意外な所から意識的か無意識か妨害が入っていた。これがわかったのは偶然からである。世はインターネットの時代である、こちらが案内した情報を確かめようと、ある家族がインターネットで、教科書展が開かれるであろう、国際交流会館を検索した。
ホームページはすぐにわかったが、イベントのカレンダー予定表にも どこにも書かれていない。隅から隅まで探しても、そう言う予定は端から無いがごとくである。
 これは一体どういうことかと、連絡があった。地理に疎いので、ホームページを見てから行こうと思ったらしい。ところが、京都市国際交流会館のページを見る限りそういう催しは存在しないというのである。

 それを受けて、会館ホームページを見てみた。本当にどこにも書かれていない。何かピンとくるものがあった。すぐ、京都市国際交流会館にメールを書いて返事を乞うた。

 案の状であった。ひとつは お客様が公表を拒否される場合もある、ふたつは 私どもの把握できない催し?ものは掲載をひかえさせていただくという。

主催者が拒否する場合はあるだろう。和風の別館で開かれる催しは茶会などが考えられるが、今回は、教科書の現状を見てもらおうと、いろいろな組織、日本会議やつくる会、京都の神社庁まで協賛して開こうとしていたのだ。

 もう一つの「把握できないもの」とはなんだろう。この会館は只ではない。三日で10万円位かかるのだ。そして、南禅寺界隈や駅近くでチラシをくばる要員はすべて仕事を持つ、普通の人達である。金を受け取った時点で、把握出来ないもくそもないだろう。

あんまり怪しいので、つくる会の人達と話して少し調べたら、でてきました。つくる会のTさんから、「交流会館発行の冊子を見ていると、日韓交流ということでソウルにホームステイした子供達の手記があります。例によって韓国の独立記念館に連れていかれ、無垢な子供に刷り込みを行っていました。」との情報があった。

 ここでちょっと韓国独立記念館について触れておく。
ここの記念館は7つの展示室と、野外展示場と円形の劇場がある。問題なのは、第三展示室、名付けて日本帝国主義侵略館、おどろおどろしい日本人による朝鮮人への蛮行が実に生々しく描かれまたは展示されている。
ほとんど嘘である。独立運動もどきをしていた組織はもちろんあった。だが正式に立ち上がって、戦った記録はない。

 大東亜戦争当時、徴用は当時日本国民だった朝鮮人もされたが、徴兵はされなかった。にもかかわらず、朝鮮人の名将、洪思翊 中将がいる。後、大統領となって、暗殺される朴正煕も日本の士官学校を出ている。なぜか?志願したのである。

 当時志願兵に応募倍率は30倍以上あり、東大進学競争率などは問題にならないくらいに高かった。それくらい一体となって戦に向かった。当時欧米の常識として、有色人種は兵隊の上に立てなかった。白人に有色人種が命令など考えられなかったからである。ところが日本ではちゃんと台湾人も韓国人も上に立つ人はいて、日本人達に命令している事実がある。少なくとも軍レベルで人種的差別はなかった。いつの時代でも 差別があるのとまた別なはなしである。

 戦後、朝鮮・台湾は第三国、戦争当事国でないとして ぽんと放り出された。そこで、自らの建国神話を作り出さなければならなかった。
 ことさらに当時日本人であった50年近くを忘れて、嫌悪でもって自らを正当化した。それが、第三展示室の名にもあるように、日本帝国主義侵略館となったのだろう。
 当時、日本は併合に対して世界中から何も言われていない。侵略でもないし、植民地化でもない。植民地化はコロナイゼーションと言い、併合はアネクセイションという。当時の朝鮮併合はアネクセイションと書かれている。イギリス・スコットランドのごときである。

 ホームステイした日本の子達は、ここに連れて行かれて、韓国がまったく作り上げた嘘を刷り込まれ、かくて、自虐的な日本人が国際交流会館で生まれるのである。これが国際交流なのだろうか。日本の教科書で、検定を合格した中で、一社だけ、バランス良く書かれている教科書が扶桑社の新しい歴史教科書である。

そしてそれがいやなものであるという会館内にいる在日か、反日かしらないが、世間に知らせたくなくて、無視したと考えられる。

 知らないと言うことは別に恥じでも何でもない。知ればいいことである。いくら言っても理解しない(できない)と言う事が一番恥ずかしい事である。

 協会理事長の茶道裏千家の千玄室さんはご存じだろうか?















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