目次過去未来


2002年12月28日(土) 餅搗き



 いつも米は新潟のお百姓から、無農薬の米を送ってもらっている。
新潟からの玄米もち米を、三四日前から、石清水に漬けて置いたものを蒸籠(せいろ)に入れ、十五リットルの寸胴の上に乗せ数十分蒸す。
親指と薬指で米粒が潰れるくらいまで蒸したら、庭に湯で温めてある石臼の所まで走り、あけて杵で最初はすりつぶす。白米の餅のようにはいかない。何しろ、腰があり、おまけに少し発芽しているので、ものすごく力がいる。二百回くらい搗いてもつぶつぶは残る。その頃になると、てのまめは裂けて握力が無くなり、へとへとになる。
 餅をかえす方も大変である。ものすごく粘る。女の細腕では見ている方が気の毒になるが、二人しかいないから仕様がない。ぺったん・ぺったんのリズムがしばし淀みながらも、無事餅つきを終えた。不思議な物で餅は今どこでも買える。けれどもこういう一見面倒と思えることをしていると、沸々と、「今年もちゃんと生きてこられたなぁ」という感慨が湧いてくる。正月が近いという気持ちになってくる。昔の人々はこういう行事でもって、生まれてから死ぬまでの単調な道のりに節目を付けてきた。それが文化になり伝統として残っていく。今の時代はそれがいかにも希薄で、薄っぺらい。

  搗きあげた餅は、白い餅と違って、きれいな丸にまるめられない。どう搗いても米のつぶつぶ状の物は残る。だからぜんぶ伸し餅にして、二三日後に切ることにしている。
 今回はレンブラント光線ならぬ、小津目線で、この餅つきの一部始終を撮影した。編集で音にエリックサティのジュ・トゥ・ヴを入れる算段をしている。
 今回の餅つきを期に、もっと昔ながらの本来の餅の搗き方に変えようと思っている。槌型の杵は、返しの人の労力と、危険が伴う。一方、月で餅搗いてるウサギは立て杵を使って搗いている。これだとみんな参加できる、同時の返し手がいらない。三人なら三人同時につけて、そのために餅が動き、返し手がいらないし危険もない。毎回のように、手のまめを破って苦労するよりも子供でも出来る、昔ながらのやり方がいいとおもったからだ。
 完全を期すなら、今使っている昔から家にあった石の臼よりも、くびれ胴の木臼を使ったらいいのだろうが、(太鼓胴の臼は江戸時代かららしい)、そういう一種の原理主義に陥ると、本業の道具の筆や絵の具もそれに則って、ブルーの絵の具は本来はラピスラズリという宝石の粉末で作っていたのだから、それにしなければならないし、筆など高級テン毛(女の人の細い眉ほどのものが一万円位する)を使ったものが全てだとしたら、テンは絶滅する。
 だから、何かをやるときには、ある程度の道具は必要だとは思うが、その背景にある歴史を自覚した心があればいいと思っている。淘汰されて、なくなるものはなくなるのがこの世の常である。正式に公の場で行われる物に限り、昔の方式に則してやることは「言葉」と同じで大切だと思う。
だから蕎麦を捏ねるのに、漆の鉢でなくとも、ステンレスのボールでも別にかまわない。
 
    餅つき終えており茶を一福 
 

 *小津安二郎(映画監督)ローアングルで固定されたカメラや全編をカットでつなぐ手法を用いた。ローアングル用に、赤いトライポッド{通称かに}を使った。気に入っている作品に、「東京物語」(昭和二八年)「秋日和」(昭和三五年)の中の原節子がいい。それと、映画のバックに流れる斎藤高順の音楽も。










src="http://St-mongaka.ddo.jp/tedaisyusoryo-uxtutae-poster.jpg"
href="tedaisyusoryo-uxtutae.mov"
target="myself"
controller="false"
autoplay="false"
scale="aspect">












myrte21 |MAILHomePage