目次過去未来


2002年10月21日(月) ひでーよ!でん。



田 英夫(でん・ひでお)という)人がいる。
『特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと』
と言う著書の紹介文に、「 学徒出陣、大勢の友人が人生を断つという苦悩を抱えながら戦場で死に向かった。その無念さを二度と若者に味あわせてはならない、二度と戦場に立たせ血を流すことを許してはならない!その危機が日増しに近づいているいま、おくればせながら「戦争の語り部」となり日本が「戦争をしない国」になった意味を若い世代に伝える」
とある。
 「二度と戦場に立たせ血を流すことを許してはならない」そうで、「戦争をしない国」に日本はいつなったのだろう。
 答は簡単で、戦後マッカーサーが、占領国憲法を作り、させない国に(報復を恐れて)仕立て上げただけの話である。二度と戦場に立たせないとはどういうことか? 戦争は病気のごとく現代世界に蔓延している。無くならない! その時は、自分達の家族ひいては国を守るために血を流すことは現代も行われている。
そういう現実は一切直視せずに、許してはならないという。この人が特攻隊の生き残りというのだからあきれる。
 普通なら「自分と同年齢の若者達が国のために戦って、死んでいった、どうか皆さん今日この国があるのは、そういう人達の犠牲の上になっているのであって、その事を無駄にしないよう…」くらい言ってくれ。

 この人は親北朝鮮・中国で、拉致など存在しないと言い張っていた人である。こんな事を言っている。

 「まず第一に重要なのは日本が過去に一九一〇年から終戦までの三十六年間、朝鮮半島を植民地支配し、創氏改名など皇民化教育の名のもとに朝鮮民族に多大な迷惑をかけ民族の歴史を汚したことへの謝罪と反省を明らかにすることである」

 朝鮮併合には順序が存在する。簡単にはしょって、おきまりの朝鮮植民地支配などというな。
まず、1905年(明治38 年)7月の桂=タフト協定、8月の日英同盟改定でそれぞれ米国、英国は日本の韓国保護国化を承認、9月のポーツマス条約で韓国に対する日本の 指導・監督権をロシアに認めさせ、同年11月、第2次日韓協約(日韓保護条約)を結んで翌年2月には伊藤博文を統監とする韓国統監府がソウルに設置、1910年に韓国を併合となるのだ。
「創氏改名など皇民化教育」とあるが、創氏改名はどちらの名を名乗ってもよかった。当時の兵隊に朴さんや金さんもいた、強制されてはいない。逆に朝鮮人はすすんで自分からなりたがった。
とにかく良くも悪しくも日本人になったのだ。元朝鮮人だけではなく、日本人も同じように教育は行われた。

また
 「この日本の過去の誤りの中でも忘れてならないのは、日本による朝鮮の人々の強制連行という暴挙である。…(略)
 昭和十七年の内閣決定で、約六十万人ともいわれる大勢の朝鮮人が日本に強制連行され、炭鉱などで強制労働を強いられ大量の死者を出した。
終戦の直前に地下の大本営を造ろうとした長野県松代の地下壕の掘削工事にも数千人の朝鮮人が動員され多くの死者を出した。
この事実は韓国の高校の歴史教科書には記されているが、日本の歴史教科書にはその記載は無い」

 こういう風に書かれると、何にも知らない人は非道い事すると思うだろうが、よく考えてくれ、昭和十七年朝鮮は日本であった。同じ日本でなんで強制連行を必要とするのか?同じように日本人も炭坑で働いた。
 最後に韓国の教科書は信じるが、日本の教科書には記されてない、すなわち隠しているというニュアンスで書かれている。ご存じのように日本の教科書は8種類ある。近現代史は、ほとんどが日本の事を悪く書いてある。自虐史観と言われる所以である。
その中には良心的な教科書もある。だが、この人の言う韓国の教科書は、北朝鮮・中国と同じ 国定の教科書一種だけである。普通なら、多面的に書かれているものを読み見て判断することの方が、より真実に近づけると考えないか?
どうやらそこに思いが、この人は至らないようなのだ。

 今回の拉致事件も、「向こうに親しい人達がいて、頭から否定していたのでそんなことはありえないと思っていた」とおっしゃる。馬鹿である。騙されたとは考えないお人好しなのだ。
 蒋介石婦人、宋美麗(そうびれい)はアメリカに亡命後、各地を回って日本の悪口あること無いこと言って回った。今もアメリカの各大学に中国共産党政府と結びつき、日本の戦時の悪口(情け無いくらいの作り話)を講演し発表して回っている学生がいる。
(当の中国共産党の元祖?毛沢東は当時、よくぞ蒋介石を台湾に追っ払ってくれたと日本軍に感謝しているのだ。)
 ほとんどが自国の正当化のための、宣伝工作のための言動である。
(戦後これにだまされたのが、朝日新聞の本多勝一記者などをはじめとした進歩的知識人達である。
彼等に共通するのは、日本が悪く言われると、頭から信じてしまうお人好しなのだ)

 この度の拉致事件のことも、拉致者は別に置いておいて、とにかく国交正常化せよという立場なのだ。やくざ国家と正常化して何がしたい。
 
 最後にこの人、今年の文化勲章をもらうらしい(訂正:すでに01年にもらっていたようだ)。
 よくもらえるなぁ。


     田 英夫
        1923(大正12年)生まれ。
        東京大学経済学部卒 共同通信社記者を
        経て立候補、トップ当選で社会党、以後社民党
        外交・防衛部長を勤め2001年引退

 










myrte21 |MAILHomePage