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2002年08月21日(水) 校正の大切さ



 出版物などを出すときや、新聞紙面の原稿を書くとき、影にいてチェックする人達が校正の人達である。この人達のおかげで既成の事実、字の間違いなどがチェックされる。そうして、「作品」となって発表される。
ところがインターネットの個人ページの文章などはそれがない。だから、かなり著名な人でもタイプミスや記憶違いによる誤記があることがある。

 淡譚自身も後で読んでとても恥ずかしいミスをしていたり、思い違いによる、ミスが結構ある。救いは、お金を取っていないことで、その分差し引いて読んで下さい。名前特に人の名はしょっちゅう記憶間違いします。下記の淡譚もそうでした。今朝新聞を読んでいて、いつのまにか頭の中で、敬子が敏子にすり替わっていた。ほとんど、自分で気がつく以外に誰も注意してくれない。

 今までは、その文章自体を訂正していましたが、あほさ加減を残そうと思い、間違いの文章はそのままにすることにし、訂正文章を後にその箇所に書くことにした。自身の文章を載せる前に何度読み返しても間違いは発見しにくい。
昔、古本市の珍本コーナーで、表紙に「スパデッテイーの秘密」と堂々とタイトル印刷された本を、買ったことがある。だれも気がつかないで、印刷出版して初めて読者に笑われて、回収されたと思われるもので、これからも分かるように、校正という仕事は無くてはならないものなのだ。
 10年くらい前、Dr.中松の一連の著書を読んでいたとき、非常に誤記やタイプミスが多かった事を覚えている。きっと校正者を使っていないんだろうと思った事があった。

 ここの文章は出版物には無い良さで、ちょっと書き換えたりすることがあります。そういう楽しみ?もあるかもしれない。











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