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2002年08月20日(火) 長野県の市民



 長野県の知事候補の紅一点、飯田市の弁護士、長谷川敬子(敏子から訂正8/21)と言う人の背景が何だかあやしい。正式出馬表明は駒ヶ根市の女性市民グループ「女性の目で見る県政ネットワーク」が代理発表している。
 
 田中康夫前知事の、幼稚な胸バッジや、初めは冗談でやっていると思った、知事室を透明には、文字どおりガラス張りにした。これが情報公開というしゃれだとしても、座布団はやらない。しゃれで言うと駄じゃれである。「そのまんまやないか!」
女の人との閨房日記のような自慢話(男から見たら)を雑誌発表して、何とも思わない神経で、知事に立候補したのは良いけれど、最初に結論ありきで、議会ともかみ合わない。それで失格の烙印を押され、失職した。ところが破廉恥にもまた知事選に出ている。そしてそれでもまだ支持すると言う市民グループがいる。
 さてここで言う「市民」とはなんぞや?彼の市民と此の市民はどう違う?日本語の市民は普通、市井の人々を指すようだが、市民には本来、「シビル」と「シビック」との二種に分けられ、「シビル」は国家を権力=悪とみなし戦う市民、「シビック」は国家に対し、義務と権利をわきまえる市民を指す、という意味がある。さて上の長谷川さん、田中前知事の応援団はどちらだろう。

 多分どちらの市民グループも「シビル」だろう。長谷川さんのバックにはフェミニズムの臭いのする人達がいる。当選すると妙に女を強調するような言動や行動に出るようになるかもしれない。そうして今回その危惧がある。なんでわざわざ「県政を女性の目で見る必要」があるのだろうか?普段フェミニズムは、「男や女を超えて人間として」と言っている。そうすると別にわざわざ、女性の目で見て県政をしなくてもいいと言うことになる。
しかし、現実には「女性の目で見る県政ネットワーク」が代理出馬発表している。

 田中真紀子が外務大臣を降りたとき、なぜ次も女でなければならなかったのだろう。女の人であればフェミニズム方面にもいい顔が向けられるし、集票率がいいとでも思ったのだろうか。
本当に尊敬すべき女達はいる。だけど、政治家の中にはほとんどと言っていない。大抵は野で活躍している人達の中にいる。

 脱ダム奪だむ後光の擦り切れ・・・?と、となえ続ける田中元知事の応援団も多分にアウトロー的な「シビル」だろう。「私達の知事が書いた***日記よ」と子供に平気で話せるのだろうから。

 最も近い秘書も本人に要請を受けてなったが、程なく離れた。最初全面的に支持していた地元有力者も離れていく。この人たちが本当の「シビック」かもしれない。愛想が尽きたらしいのだ。
 長野県民は見た目で選んでるとやがてしっぺ返しが来て、お叱呼チビルことになる。










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