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2002年02月11日(月) プラハからの里帰り日本美術展



「プラハからの里帰り日本美術展」を京都国立博物館に見に行った。
プラハは、「百塔の街」「中世の宝石」などと呼ばれ、世界で最も美しい街の一つに数えられている。中世以来の街並みを残し、あらゆる様式の建築が見られる。スメタナの『我が祖国』の中でも謳われているヴルタヴァ(モルダウ)川が流れる。 
神聖ローマ帝国の首都、現在はチェコ共和国の首都がプラハである。、
 毎年5月12日から6月3日まで開催される、国際的な音楽祭「プラハの春」は、世界一流のコンサート、バレエ、オペラなどで有名。天才を多く輩出している地でもある。
 町が豊かであれば、必ず蒐集家が存在する。その昔、支那陶磁器の代用であった日本の陶磁器が、支那の事情も含め、取って代わり有名になる。それとともに、浮世絵など版画も結構注文品があり、彼の地に渡っていった。
今回はそれの集大成。柿右衛門はある、歌留多絵はある、浮世絵の主たる作家の殆どが集められている。もう、江戸時代の浮世絵に関しては完璧!
文化絢爛の証みたいなものだ。有名も無名も、とてもレベルが高い。
 
 我が家の水屋の食器は、今出来物はなく、江戸明治大正期の食器を日常的に使っている。が、柿右衛門などを見てしまうと、ため息が出てしまう。この柿右衛門はそう極上のものではないと勝手に思うけれど、欲しいなぁ!

 パリの6区イエナ広場にある、ギメ美術館が去年新しくなったので行ってきた。新しくなって、がっかりするくらい日本の展示物が減ってしまった。昔のギメは貴族の館然として、乱雑に展示してあったような印象があって、それで、展示物が多いように思えたのかもしれない。

中国などのものに比べて、最初は展示物の圧倒的な少なさに、これでは日本をよく知ってもらえないなぁ!と思ったものだが、よーく考えて見ると、これは、アジアで唯一植民地になる事を、まぬがれた国だという事の証明でもあるということが分かる。略奪品がほとんどないということでもある。
このプラハの日本美術のように、日本のものは、大抵は注文品だったり、内緒で庶民レベルで売り買いしたものが、収蔵品となっている。ギメの日本展示室は実にあっさりしていて、すぐに韓国展示室へと移ってしまう。

 それにしても、ものすごい量の日本の美術品が主に、プラハ美術館とナープルステク博物館には集められている。
 今大英博物館で問題になっているが、あの博物館は大部分が略奪品である。エジプトの王の墓を暴いて、ミイラをかざったりしている部屋がある。
それを見せ物にしている。ところが個人が暴くと墓荒らしと言われる。そういう事が最近言われ初めて、戻すの戻さないのと騒いでいる。

日本人は蒐集が不得手なようだ。神話時代から連綿と続く皇室にも、そんなに目も眩むようなお宝宝石類はない。世界で一番質素な王家である。
 前に、スイスアルプスのツェルマットで知り合った、北海道大学の魚博士は、日本にかって生息した魚の論文を書き、自分の論文の仮説を証明するのに、それの実物見本(魚のホルマリンづけ日本から流出)がスイスにあるというので見に来たと言った。
それほど、日本は物持ちが体質的に悪いらしい。外来物を取り入れるのに熱心なあまり、足下の自分達のものが、知らぬ間になくなっているようなのだ。プラハ美術展はそんなことを思わせる展覧会だった。

   大学のせんせが暴くと学術調査、個人が暴くと墓泥棒 
   葬られている者にとって、迷惑この上なし! あ〜♪こりゃこりゃ










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