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2001年12月11日(火) 火事




 今朝四時過ぎ、そろそろ寝ようと寝間着に着替えていたら、外で男の「火事やぁ!」の声。縁側に出て外を見ると、表通りの方がオレンジ色になっている。寝間着の上から外套を羽織って飛び出した。走って20歩位の場所。表に出たら、もう、門のすぐ後ろ、家の前中央から火の手があがっていた。
はす向かいの家の小母さんが呆然と立っていて、他に自分以外誰もいない。
こんな事経験したことありますか?

草木も眠る丑三(うしみ)つ時から二時間は経っていたけれど、ほんとに自分の目の前で家が燃えている。おばさんの立っている家の前に、常備消火用の赤いちいさなバケツが二つあったから、それを火に向けてかけた。焼け石に水とはこのことで、何の助けにもならない。

右隣の家の門戸をこじ開けて、玄関を力任せに拳でたたき、足で蹴って開けようとしたけど、開かない。こういう時、外敵から守るに適しているという丈夫さは、反対の環境になったとき、要塞化して救えるものも救えないと言うことがよくわかった。とにかく頑として開かない。
怒鳴り倒して、火事を知らせた後、また近所にあった常備用消化器で、もう燃えている家は無理なので、隣の家の隣接した壁に消化器をかけた。二本使ったが多分何の効果もなかった。

消防が来たのは10分後ぐらいで、もう、二階まで火の手があがった後だった。見つけたすぐに、太い消火栓が近くにあったら確実に消せてたと思った。燃えている家の横の家に飛び込んでいくとき、火よりも怖いと思ったのが、焼け落ちた電線のスパークで、何か鉄にでもふれたのか、青白い炎をだして、バシーンとショートして凄い音を出した。
明け方と言うこともあって、このとき、少し遅れて出てきた、隣の男の人とまだ二人きりであった。やがて消防が来て、人びとが起き始めて見には来ていたが、もう火は二階を焼き尽くしていてほぼ全焼だった。
かなり早くから起き出して来ていた人も、消火活動は手伝ってくれなかった。多分人には二通りあって、何かに直面すると勝手に体が動いてしまう人とそうでない人に別れるのだろう。これは資質みたいなもので仕様がないことかもしれない。

 その、燃えた家というのは、長年の家庭内暴力で、荒れていて、七十過ぎた親に三十過ぎの息子が絶えず暴力を振るうらしいのだ。警察が出てきた事も度々あるらしく、今度も違う線で捜査しているようだ。よく生傷が絶えないお婆さんを見ると家人が言っていた。
昔、村八分と言って、そこの村でどんな嫌われても、後の二分、すなわち火事と葬式は協力してくれるというのがあったけれど、今は、そういう事が希薄になっていると思う。みんなそういう専門の所に任せて、頼りすぎて個人はまったく無気力無関心になっているように思える。
消防の消火で収まるような気配だったので、帰ってきた。
頭からずぶぬれになっていた。
何よりも禅林寺(永観堂)が近くなので、心配したが大事には至らなかった。










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