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2001年10月01日(月) 遠くの蕎麦屋



 北山通り、植物園裏側のちょっと入った所に「甚六(じんろく)」という蕎麦屋がある。知る人ぞ知る蕎麦屋で、その精進の仕方はもう並ではない。
自分でも蕎麦を打つので、そこらの蕎麦屋なんてちゃんちゃらおかしいのだけど、ここの蕎麦屋にはかなわない。
まず、そう常連でもないのに、話が蕎麦のことで馬があったと思ったら、これも食えこれも食えと出してくる。曰く、これは徳島の祖谷の蕎麦を挽いたもの、今日店で出しているのは茨城産もの、これも食ってくれと、今度は福井産のそば粉で、蕎麦がきにして持ってくる。
こっちの注文はざる一枚にも関わらずである。昼の間、数時間しかあいていなくて、夜はやっていない。これでは儲からんと思って、昼からビールを頼み、なんとかその分儲けて欲しいと思うのだけど、ビールを頼んだら頼んだで、また別に茎わさびやなにかの突き出しを出してくれる。
 昨日も深夜バスで茨城まで蕎麦を見に行き、その日にまた深夜バスで戻ってきて仕事していると言う。
普通商売をながくやっていると惰性に傾くと思うのだけれど、ここの主人の蕎麦に対する情熱は並ではない。
 この店の存在は、案内や宣伝雑誌にもほとんど出ていないから、思いついて行ってもちょっと分からない。たまに行っても、客はそこそこ入っているので、うどん食いの関西で宣伝もせずに大健闘だと思う。

 味のわかるお客さんの口コミで来るのだろう。一度など、居合わせた神戸から来たご夫婦が、書かれた雑誌の地図がまちがっていて非道い目にあったと怒っていた。地図に載せた側もあんまり知らなかったんだろう。結構名のある案内の本であったにもかかわらずそうである。
初めてここの蕎麦を食べるお客さんは、その、蕎麦つゆの少なさにまず仰天することになる。蕎麦ちょこにほんまにちょこ、としか入っていないのだ。蕎麦猪口のそこの方に8mm位、本当にそれきり入っていない。
が、ここからが不思議なとこ。それで大丈夫なんだほんとに! きどって蕎麦の先だけをつけて食うというレベルではなくて、本当に“辛つゆ”なので、ざぶとつけて食うものではないことがわかる。京都の蕎麦屋のつゆは全体に甘口だが、ここのは蕎麦のことを考えて作ってある。
そばを打ってみて初めて分かるのだが、蕎麦の香りは打っている時が一番する。湯がきあがってきたものを嗅げと言う蕎麦屋があるが、ほとんど意味がない。わずかなつゆにつけて口に運ぶとほんのりと蕎麦は香る。
このわずかなつゆで最後にそば湯を作って飲むが、いいドイツワインを飲んだ後と同じく、その日の厠は蕎麦の香りで満ちる。蕎麦粉100%の強烈さを重い汁?。










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