オクラホマ・スティルウォーターから

2001年01月17日(水) この日を忘れまい--震災から6年

 アメリカ時間では16日だったが、今日であの震災から6年が経った。震災での経験はHPの
「6年前の阪神大震災」で述べている通り。

 静岡に6年いて、89年の伊豆沖の海底噴火による地震も経験したので、多少の地震には慣れたが、こんな閑静な住宅街の阪神地域で、まさかあんな地震が起こるとは予想もしていなかった。

 うちの父は地鳴りで目が覚めたという地震。まだ寝ている時間だったので、布団の中で揺れが止まるのを待つだけで精一杯。電気は1時間後についたが、その間の家全体、街全体がすごく静かだったこと。その日はテレビにかじりつきで、電気をつけたまま、コタツで寝たこと。2,3日は幸いにもガス、水道が使えたが、お風呂に入れなかったこと。食糧難の恐怖、車で移動するにも、ガソリンが手に入るだろうか、と心配になったこと。

 うちの辺は西宮市内でも一番被害の少なかったところだが、ちょっと街に出ると、道路の亀裂、マンションの倒壊、瓦礫の山。
 3日後、家族で、京都のおじの家に疎開して、駅のラッシュで人々が普通の生活に戻っていてショックだったこと。喫茶店でおしゃべりしているおばさんを見かけて、またまたショックだったこと。1ヵ月半、ガスの供給復興を待ちつづけたこと。

 帰る家があってよかった。前に住んでいたところに行くと、近所の家は傾いていた。小学校の同級生に12年ぶりぐらいに会って、その家族も一時的にどこかへ行くところだった。

 普通の生活に戻っている大阪に「買い出し」の気持ちで買い物に行ってた。電車の線路もところどころ落ちていて、阪急の「夙川(しゅくがわ)」と隣の駅の「西宮北口」間の線路が高架で落ちていたので、復旧するまで半年はかかったが、やっと最後に復旧して、ホッとしたこと。

 思い出すと、きりがない。震災の年にアメリカに来たけど、震災のことは忘れていない。
 


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