日々の泡・あるいは魚の寝言

2008年06月17日(火) 幸福の条件

ばたばたと都内から帰ってきて、また長崎で働いてます。でもまたじきに、あっというまに東京ゆき〜♪
今年はもうずうっとこんなになる予定ですが、楽しいなあ。

ところで。
例の秋葉原の殺人事件ですが。
毎日ニュースの報道その他で、例の二十五歳の彼が発言したという言葉を聞くたびに、もういい加減にしてくれというか、頭抱えたくなるというか…

なんだってああ、自分のしたことに責任がとれないんだろうか。
二十五にもなって。
自分が殺したんでしょう、たくさん。
周囲の責任にするんじゃないと。

根本的なところで、彼が一番間違えているのは、たぶん彼は「人間は誰でも愛され、幸福に生きられるべきだ」と信じていて、それが求めても自分に与えられないのは、(自分ではなく)世の中がいけないんだ、と憤っているあたり。

違う。人間は、愛されない人間は愛されないし、幸福になれない人間は幸福になれない。
愛情も幸福も、自分が他者を愛し、他者を幸福にして初めて、輻射熱のようにかえってくるものだから。
他者を愛せない、幸福にできない人間は、愛されないし、幸福にもなれない。

…でもこんな「真理」も、もし彼が今更しったとて、「誰もぼくにそんなこと教えてくれなかった。教えてくれなかった親や環境が悪い」とかいいそうだ…。

さっき夕方のネットニュースで、彼が、彼の両親に対して、「両親は他人だと思っている」と語った、と読みましたが…
二十五にもなって、何を甘えたことを、と思うのは私だけでしょうか。二十五の男が、まだ両親に愛を求め、子どもとして大事にしてほしいのかなあ。


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chayka [HOMEPAGE]