ああ肩が痛いなあ、と思いながら、原稿とこの日記を書いてます。 肩凝りがふだんより痛いのは無理ないというか、昨夜の長崎市長銃撃事件とアメリカの銃乱射事件で、犯人に対して腹が立って、その憤りでろくにねてないからです。
銃撃事件の犯人は、「自分が責任をとります」と某ニュース番組に、殺人予告めいた遺書のようなものを送っていたそうですが、他人を殺しておいて、「責任取ります」って、自殺でもするつもりだったんでしょうが、それで許されると思わないでいただきたいものです。
アメリカの銃乱射事件の方は、犯人が自殺して終わったようですが、なんていうのかなあ。「死ねばいいんでしょ」みたいな開き直りというか、「死ねば罪は追求されないだろう」みたいな逃げや、「人殺しは悪いことだけど、かわりに自分も死ぬので許してください」みたいなまちがったヒロイズムが、とにかく腹が立ちます。
特に最後の。 「かわりに自分も死ぬので」って、無辜なる(その後の報道によると、たいていそうである)被害者の生命と、「殺人犯」になりはてたところの自分のそれとが「等価値」だと思ってほしくないものです。
ああ腹立つ。
で、この怒りはたぶん、「同族を殺すことを是とする、壊れた本能をもつ異質な同族」に対する、群れの一員としての怒りもあるんじゃないかな、なんて思っていたりします。それ+ひととしての倫理観や、被害者への同情ですね。
人類は、たとえ誰かとどんなトラブルがあったとしても、殺人で解決しようとしてはいけないのです。 なんのための、これまでの進化であり、守り伝え、築いてきた文明、文化、なのだと思うのです。
いやしかし、自分の指を紙で切っても痛いのに、目の前の誰かがころぶところをみても身がすくむのに(たいていの人はそうだと思います)、銃で撃って平気ってなによ? どういう心理状態なのか、さっぱりわかりません…
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