日々の泡・あるいは魚の寝言

2006年07月13日(木) 同調や共感や

☆続く猛暑の中、今日はカウンセリングの日でした。
あまりの暑さに具合が悪くなっていたので、やすもうかなあとおもわなくもなかったのですが、そういうのも病院に悪いしで…
いってみたら、待合室で待っている間に、何件も、「予約の日を変えてください」らしい電話が^^;

みんな倒れそうな、そんな暑さでしたね、今日は。
全国的に暑いらしいですが…いつまで続くのかな、というか…
あれ? 梅雨あけてましたっけ^^;?
これから夏が来る、とか、さらに猛暑が、とかいったら、どうしたらいいんでしょうか。

☆今日は、待合室で涙を流している患者さんがいて、私はその人の悲しさに同調してしまって、かなり辛かったです。
ぜんぜん知らない人、今日も言葉すら交わさなかった人ですが、でも、感情が同調して、ほうっておけなくなってしまう。
自分の番が来たとき、先生に、「今日はもう私は良いですから、あの方をもう一度みてさしあげてください」とお願いしてしまった…
(そして先生に、「いや、あなたも病気なんですから(笑)」と、諭される患者であるところのワタクシ<病人だとつい忘れがち)。

私は、一言でいうと、「親の育て方が悪かったせい」で、生来のセンシティブな素因もあったんでしょうけれど、いろいろ不安定な要素をもったおとなに成長してしまっています。
たとえば、今日みたいに、目の前で泣いているひとがいたりすると、比喩でなく、「自分も悲しい」のです。いたたまれない、です。

これは、小さい子どもや動物が、お母さんの感情に同調するのと同じ感覚です。つまり、子どもはそうやって、親から喜怒哀楽及び、その感情表現を学ぶのですね。動物だと、群れのなかで同調することも学ぶんだったかな。
普通の人間は、成長するにつれ手放す感覚らしいのですが、私は、「まだそれが残ってるんですねえ」(先生談)。

自分がそういう同調しやすい性格なのはわかっていたし、上記のことも知識としてはありましたけれど、その感覚も、自分を不幸にしている要素の一部だとは思わなかったです。うん。思っていなかった。
むしろ、作家としては、有利な「素質」だと思っていたし。

そしてまた、他人の喜怒哀楽に同調しやすいということは、いろんな立場の人に共感しやすい素地があるということで。「他者に共感できる人」を高評価したい私は、けっこう自分のそういうところが好きでもありました。

でもだけど。
他人の喜怒哀楽や、他人の幸不幸を最優先で考え「すぎる」のは、自分の感情や幸不幸あとまわし、ということにもつながりかねないわけなので。
まあやっぱり、改善していかなければいけないんでしょうね。

☆ところで、私が、病院で治療を受け続ける一番の「決めて」になったのは、希死念慮です。この希死念慮、というか、どこか人のいないところで静かに休みたい、という思いは、本当に子どもの頃から常にあるものでした。
ので、自分の中では、あまり問題視していなかった。
私の場合、この「死にたい」想いは、他者に対する攻撃由来のものではなく、つまり誰かに何かを訴えたいとか、そういうものでもなく、ただ、「里帰り」みたいな気持ちで、静かな世界に憧れていたので…
客観的に、「自分では」悪いと思っていなかったんですよね。

私にとって、「悪」とは、他人を傷つけるもののことで、自分を傷つけることは、悪の範疇に入っていなかったのです。
だから、「自分」が死に憧れることを、「まちがっている」とか「おかしい」と思う回路が、心になかった。

でも、じんましんがきっかけで心療内科にいったとき、ちょっとこの、「死にたい気持ち」が大きくなっていて、自分でやばいな、と思ったので、さりげに先生に話したら、通院することになってしまったという…。
眠れない、起きられない、という症状もありましたし。
いま現在は、うつの症状を投薬で抑えて、AC由来の生きづらさを、カウンセリングで矯正していっている、という感じでしょうか。

だけど。
「自分の幸せ最優先」「自分を大事にしましょう」と、先生に説得されても、どうしたらいいのやら、皆目わかりません^^;
ただ、毎回、少しずつ、低い階段を上っていくように、「正解」への道のりができあがってくるので、それを楽しみにしていようと思います。

☆ローカルアナくん。
メール返事できなくて、ごめんよう^^;
今日はそういうわけで、ばたばたしていたのさ。
明日にでも、メールします。


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