日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年09月23日(月) 自分を慈しむということ

一度治った鼻風邪が、またもどってきました(涙)。

今日は一日、郵便局に行ったりコンビニにコピー焼きにいったり喫茶店に仕事しにいったりと、何回も家を出たり入ったりの用事があったんですが、くしゃみしながらは相当かっこわるくて、まわりに気を遣いながらの街は、面倒で。喫茶店も、じっくり腰を落ち着けている予定だったのに、お店にいる他のお客さんたちに風邪を移したらいけないから、結局すぐ帰っちゃったし。
なんか、疲れる一日でした。頭痛がしたので、いつか試してやろうと楽しみにしていた某新しい痛み止めを飲んだら、なんか全然効かないし〜。
でも、そんな日でも、お化粧はきちんとしてるし(笑)。たぶんいわゆる、フルメイクで。<ナチュラルな感じにはなってるはずだと…思うけど。

お化粧は、こり出す以前もしてはいたのですが、ほんとにささっと塗るくらいでした。今みたいに、きれいになるようにはお化粧してなかった。

ていうか、「外見をきれいにすること」に興味がなかったです。
そりゃ、今までもお洋服は好きだったし、見苦しくない程度には、いつも装っていたはずですが、「自分をきれいに見せよう」とは思っていなかったなあ。
わたし自身が、わたしのうつわに興味がなかったから。
いやいっそ、体が全部消えてしまって、魂だけの存在になれたらなあ、って、もう本当に、子どものころから思っていたからです。

そして、わたしは、子どものころから、「自分の作ったお話を人に聞いてもらう」のが好きで、「そうして笑ってもらったり驚いてもらったりすること」が大好きで、それで作家になりたくてなりたくて、がんばって作家になったわけで。
だから、「物語を作る人」としてのじぶんだけがいつか大切になっていて、うつわとしての生きているわたしのことなんか、どうでもよくなっていたのです。
だから、「きれいになろう」「自分を大事にしよう」なんて、思わなかった。
大切なのは、作家としてのわたしで、自分が書く物語だったから。

でも去年、体の具合が心底悪くなった時に、ほんとにいろいろいろいろあって、大事な人たちからいろんな言葉をもらったりして、それで初めてみたいに、わたしという人間は、こころとうつわとどっちも大切なわたしなのだと気づいたのです。
物語を作成するための機械じゃなかったんだよね。

高い塔の中で、ひたすら布を織る老婆のように、わたしは自分の物語と向かい合っていました。外の世界の楽しいことや美しいことには目を向けずに、難しいことや理想や真実だけを追いかけて思いをめぐらせてきました。
理想や真実も、もちろん大切だけど、でも、だけどわたしは、気がつくと、当たり前の三十代の女性が知っているようなことも楽しいことも、知らないことの方が多いんです。世の中や文学について、難しいことを話したり、論文を書くことができても、小豆の煮方を知りません。もう十数年も、海に泳ぎに行っていない。

それで、とりあえず、メイクをおぼえてみようと思いました。
高校生用のメイクの本から初めて、最近やっと、大人向けの美容雑誌にたどり着きました。早く一人前の、今の年齢にふさわしいお化粧ができるようになるといいなあ、と、思っています。まだまだ発展途上だけど、少しずつ知識が増えていくのは嬉しいなあ。カタカナと図版をおぼえるのが早いという特技があってよかったわ。

お化粧した自分の顔って、実はけっこう好きなのです。
奥二重の目って、アイラインとシャドウ、マスカラでずいぶん印象が変わるものだと、自分で人体実験して、初めて知ったり。で、これは童話のネタに使えるぞと思ったり(笑)。<アカネヒメ4は一部お化粧ネタです♪

それでね、夜になって、お化粧落とす時が、また幸せだったり。
化粧水と美容液でお手入れする時、自分の顔をなでながら、ふと思うのです。
「自分を慈しむ、って、こういうことをいうのかなあ」って。
本当に長いこと、わたしはこういうことをしてこなかったなあ、って。
人間としてのわたしを、大事にしてこなかったんだなあ…。

とか語りつつ(笑)。
気がつくと、今日も夜中の三時です。くしゃみはまだとまりません。
何やってるんでしょ、わたし。はやくねよねよ〜。
明日は、あ、もう今日だけど、岩崎書店Y嬢と打ち合わせをして…。
そうだたぶん、通販のお化粧品と香水が届くな♪


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chayka [HOMEPAGE]