日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年09月14日(土) 好みの問題

「日本児童文学」の今月号のレポートで、前にわたしが書いたレポートが引用されてましたね…。それもふたりもの方たちから。
それは、光栄なんですが…ありがたいことなんですが。
なんかどっちもその部分だけ見ると、わたしの性格悪そうに見える箇所なんで、「ありゃー」とかいって、頭を抱えちゃったり。
まあ一回書いたものは、筆者の手を放れちゃうんで、テキストがどこでどんなふうに使われようとも、仕方ないことなんですが。誤用されてるわけでもないし。

…たつみやさんのファンにはうらまれそうだ。
ああ、ごめんなさい。

でもほんと、たつみやさんにかぎらず、一部の作家さんの書く男性像には、どうしてもわたしはついていけないので、たぶんこれは、作家としての資質というよりも、男性の好みかな、という気もしています。
だから、お互い譲れないんでしょうね〜。

わたしはとにかく、人前で泣く男、というのがだめなんです。
現実でもお話の中でも、そういう男はあっちいってくれ、ってな感じで。
弱い男がダメ、っていうんじゃないの。弱くてもいいから、歯を食いしばって涙をこらえる男がいいんです。ていうか、それが男だろ、と思う。
泣いてもいい。でも、男は人前で泣いちゃダメなんです。
(例外はせいぜい、小中学生。ぎりぎり高校生、かな? おとなはダメ!)。

なぜか学生時代から、泣く男にはよくあうというか、電話口で泣かれちゃった経験が何度もあるんですが、あの〜そういうとき、わたしは励ましますが、かわいそうだから優しくもしますが、心の中では見る見るうちに、相手に対する評価が下がってるんですね。その人個人の性格に対する好悪の感情とは違う部分で。
「こいつは、男の人としては評価できないな〜」って感じで。
この辺の感情の動きは、自分じゃもうどうしようもないです。

映画を見て泣くとか、かわいそうな話を聞いて泣くとか、そういう涙はいいと思います。そういうことで涙ぐんだり、ほろっと涙をこぼす男性はいいなあ。
でも、自己憐憫の涙は、果てしなく嫌だ。

たぶんそれは、わたし自身が人前では泣かない女だからだろうとも思います。
よほどのことがなければ、自分のことでは泣きませんし。
なんていうのかな、人前で流す涙には、「なぐさめてほしい」「愛してほしい」「受け止めてほしい」という意識がでているような気がして。
一種の演出というか、駆け引きというか。
わたしはそういうのを、自分がするのも嫌だし、他人にされるのも嫌。
だから、そのかわり、「思いがけずこぼれてしまった涙」というのにははっとするし、その人をなんとかしてあげようとも思いますが…。
そういう人をこそ、いとしいと思いますが…。

でも大体、人前で泣く人は、それがくせになってることが多いと思う。
結果的には、泣き虫は嫌い、ということになっちゃうんだな。

おとなの男だったら、こらえた涙がふとこぼれたとき、その涙を隠して、目の前にいる誰かの前を立ちさってほしいと思います。元気になってから、「実はあのときはね」と笑顔で話してほしいと思います。
おとなの男は、自分より弱いもの(子どもや女性)の前で、泣いちゃダメなんです。−−と、わたしは思うのでありました。

…こういう考え方って、今はもはや、アナクロなものなんだろうか?


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chayka [HOMEPAGE]