日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年07月21日(日) 正しいことただひとつ

マンションの玄関のところに、蝉の抜け殻が落ちていました。
近所はほとんどアスファルトで埋められているので、どこで暮らしていた蝉の子だったのかなあ、と謎でしたが、羽化できてよかったなと思いました。

でも、その直後に、近くで力つきて落ちている蝉を発見してしまった…。
宝石のような羽の色で、それが抜け殻の主だとわかりました。
とくに外傷があるようでもなかったのに痙攣している蝉は、もう確実に死期が迫っているのがはっきりしていました。
そっと、人がふまないような場所に移動させてあげました。

蝉は明け方に羽化するものだから、朝に羽化して…
そして、そこはたまたまマンションの玄関だもの、人にふまれたのかもしれない。
道路沿いだから、くるまにぶつかったのかもしれない。
あんな芸術作品みたいな美しい羽をしていたのに、空をほとんど飛ぶこともなく、あの蝉の一生は終わったのでした。

ええっと。この話は、日記にも書いたことあったかな?
もう十年も昔のことになるのか、ツバメを拾ったことがありました。
改築されたばかりの大きな郵便局のそばに落ちていたのです。
とてもきれいな姿をしていたのに、生きていませんでした。
それでも、羽はつやつやだし、ひょっとしたらなんとかなるかと思って、口に息を吹き込んでみたり、そっと水を含ませてみたりしましたが、だめでした。
五月のことでした。
長い旅をして日本にたどり着いたばかりのツバメは、はめこまれたばかりの透き通るガラス窓が見えなくて、そのまま、建物の中に入ろうとしたのでしょう。
なんの悪意もない一枚のガラスが、ツバメの命を奪ったのでした。
わたしは、その郵便局の植え込みのつややかなツタの葉の陰に、そっとツバメを横たえてあげました。

人間も含めて、生き物は、長く生きるのが正しいのです。
「生きていきたい」という絶対的な意志をもってうまれてくるのが生き物だからです。たとえば、命という概念や哲学を持たないはずの猫だって、「生きていたい」という思いを、全身で表すものです。わたしはそれを昨年死んだ猫との最後のやりとりで知りました。
一秒でも一日でも、長く生きてゆくこと。
それが、生き物の願いで、究極の祈りなのかもしれません。

…てなことをかくわたし自身は、慢性的に自殺願望が強いんだけどね(笑)。
とりあえず、身の回りの生き物も人も、知らない生き物も人も、ながくながーく、生きていってほしいなあ、と、思っております。
はっきりいって、生き物に目の前で死なれたり、死んだ話を知ったりした日には、
わたしは毎度、HPの残量がひと桁になるくらいまでダメージが来るですよ。
「いかしてやりたかったな」って思うから。
ええい、蝉のばかやろー。わたしの目の前でなぜ死んだ(涙)?


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chayka [HOMEPAGE]